恋人だったひと

「それじゃあ、……元気で」
「はい。お元気で」
 今しがた別れを口にした女性の後ろ姿を見つめて、風間はちいさく息を吐いた。心を刺すつきつきとした痛みはゆっくりと身体の底の方へ沈んでいき、根が生えたようにその場から動けない。そうしているうちに華奢な背中は雑踏のうちに消え、まぎれてどこかへ行ってしまう。もう会うことはないだろうなと思った。
 兄の、恋人だったひとだ。何度か紹介されて、だから、結婚も考えていたのだろう。とはいえ、彼女が兄の死の真相を正しく知っているのかさえ判断がつかない。風間にとってはそれだけ遠いひとだ。再会は繁華街の道端、まったくの偶然だった。
 大人びたね、とすこし痩せた気がする頬を緩めるさまを眺めながら、自分はこのひとと家族になったかもしれないんだな、と考えた。それが心を軋ませた。悲しいわけではなかったけれど、いれものにちいさな穴が穿たれたような気分だった。
 家族を、うしなったのだ。あのとき、風間は確かに。兄と、大切な家族になれたかもしれないあのひとを。きっと永遠にうしなったのだった。


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