夜に咲く

 祭囃子の音が、暮れ始めた空に踊っている。聴こえてくるのは祭りの音色だ。その音色には賑やかな人々の声や、屋台から流れる音楽も含まれる。昼は元気だった蝉の声も、今はもう聴こえない。秋虫が鳴き始める季節でもなく、鳴いていたとしても人の声に消されて耳にすることはないだろう。
 肉の焼けるいい匂いや、ソースの濃い匂い、それから綿菓子の甘い香りが風に乗って運ばれてきて、なまえはきつく帯をしめた上からお腹を抑えた。祭りの屋台のたべものは魅力的だが、今日ばかりは抑え気味にしなくてはいけない。
 白地に淡い青の朝顔の描かれた浴衣は、年に一度着るか着ないかといった着慣れなさだ。だから抑えようと思わなくても、不慣れな感覚に腹が圧迫されてなにも食べられないかもしれない。
 日が落ちても、夏の暑さはじっとりとまとわりつく。人の熱気や、帯の締め付けもあればなおのことだが、頬があつい理由がそれだけではないことは自覚していた。
 待ち合わせ時間まですこしあることを確認しながら、早すぎたかな、と手持ち無沙汰に髪飾りにそっと触れる。淡い青色の、大輪の花を模したそれは、せっかく浴衣を着るのだからと新しく買い揃えたものだ。つけ慣れないせいか、変になっていないかやたら気になる。
 空は、深いくれないの夕日影と、夜の藍が絡んだ色をしていた。きれいな深い色合いの夕日だと、その次の日は雨になると教えてくれたのは誰だったろうか。小さい頃、父から訊いたのだったか。短い浴衣を着た少女と、その両親らしき人たちが目の前を通り過ぎて行くのを見ながら考える。
 なまえも小さいころは家族と縁日に来て、しばらくすると友達と行くようになった。最近では出不精になったせいで、部屋からローカルテレビの花火中継を見て済ませていた。
 ――今度の花火見に行かん?
 そう、生駒達人から誘われたのは夏の初めのことだった。店の手伝いを終えた夜、生駒から一件だけ届いていたメッセージ。
 生まれも育ちも三門だから、生駒が言っている花火がどれなのかはすぐにわかった。三門市内でも大きな神社を中心とした縁日が三日間あり、その最終日に、神社からそう離れていない川辺で花火が打ち上げられる。どちらの会場もなまえの家の近所だ。
 なまえの実家である花屋、『百花荘』も縁日に合わせた花の注文が多く入っていた。普段から花を買ってくれるお得意さんはもちろん、商店街の店から注文が入るうえに、神社での神事に使われる草花も他の店と協力して揃える。年に数度ある忙しい時期なので、その日付はなまえの頭にしっかりと刻み込まれていた。
 そう、忙しい時期なのだ。前日、初日に比べれば落ち着いてはいるものの、両親をはじめとしてスタッフの多くは配達に出る。そのあいだの店番は、ここ最近はなまえの役目だった。
 けれど、だ。
 生駒から花火大会に誘われて、どうして断れるだろう。恋人からの、デートの、それも花火大会デートの、お誘いですよ? となまえは思うわけである。
 手伝ってほしそうな父を説得したときを思い出して、思わずぐっとガッツポーズをつくった。忙しい母にも浴衣の着付けを手伝わせたのは申し訳ないが、けれどせっかくの縁日で、花火大会なのだから。それも、はじめての恋人と行く。
 父は最後まで渋い顔をしていた。誰と行くのか、訊かれなかったのは幸いだろう。まだ生駒と付き合っていることは言っていない。察しているかもしれないけれど。もしかしたら父も、決定的な言葉を訊くのを避けたのかもと思う。
「……まだかな」
 ぽつり、と声が漏れる。はっとなって、誰にも訊かれていないだろうかと口を押さえた。道ゆく人はこの先の縁日の音に誘われて、なまえをこれっぽっちも見ていない。そっと胸を撫でおろした。
 今日の手伝いを免除されるために、他の日のほとんどを店番で潰したから、しばらく生駒に会えていない。生駒のほうもボーダーのシフトがすこし変則的になったとかで、店に立ち寄って話す時間もないようだった。
 なんとなくわかっていたことだけれど、生駒達人というひとは忙しいのだ。大学に行って、ボーダーに所属していて、下宿生だから帰省だってしただろうし、とにかく、いそがしい。なまえのほうも大学があるし、サークルや家の手伝いもあるから、あまり暇は多くない。店以外で会えるのはほんとうにわずかな機会、時間だった。
 花の香りに包まれた店の中でなら、幾度も顔を合わせ言葉を交えた。ほとんどが二人きりで、双方のことを知る人物が来ることはなかったし、来たとしても花々が逢瀬を隠してくれたので人の目を気にしたことがない。そんな日々を重ねていたところに三門市中から人が集まってくる縁日に出るというのだから、つまり、妙な気恥ずかしさがあって。気合いをいれたような浴衣が助長して、頬があついのはそのせいだった。
 会えていなかったことと、こうして待ち合わせをすることに不慣れなせいで、つい気が急いてしまう。面映ゆく、動いてしまいそうな頬を律しながら、時間が経つのを待つ。
 待ち合わせに選んだこのあたりは、大通りからは裏道になるので、人通りも少ない。道の向こうから聴こえて来る楽しげな音に耳を澄ませれば、すこしだけ穏やかな気持ちになれた。昔から、この季節には聴いてきた音だ。

 深くなった宵闇の道の向こうから、歩いて来る人がいる。夜に溶け込むような黒を纏っていると思ったけれど、街灯の近くに来れば、それが深い藍の浴衣だとわかった。腕を組んで歩いていたひとが、ふとこちらを見て、手を振る。うぇっ、と変な声が出た。
 キリリとした精悍な顔立ちが、いつものようになまえへまっすぐな視線を向けていた。まさか浴衣でくるなんて。直視できずに、手を振り返しながらも視線は下へ下へと降りてゆく。気づいた、草履を履いている。足の指長いんだなと思っているうちに、それが目の前に止まった。
「スマン、遅れた」
「いえ、全然」
 頭上から降り注ぐ声に、ゆっくりと顔をあげた。草履、きゅっと絞られたくるぶし、少しめくれた裾。深い藍の浴衣を、鼠色の帯で締めているのを見て、さらに上へ。がっしりとした肩に、組んだ腕、袖からのぞく手首。うすい布越しに鍛えられた身体がみえる。意外にも几帳面に合わせられた襟元に、影のかかった喉仏。そして顔をあげきらないでもわかる、こちらをじっと見ている視線。
「ほんま、ちょっと待ってカワイすぎてアカン、無理やて」
 そんなこと言ってても顔色ひとつ変えてないんでしょう知ってる! とか思いつつ。目を合わせかけた視線を一気に足元まで落とした。
 未だに生駒の照れるポイントはよくわからないが、カワイイと言ってくるときはだいたい真顔だ。真顔でそういうことを言ってくるからずるいのだ。
「うわ、カワイイ、俺の彼女ヤバイな」
「…………ってますよ」
「ん?」
「生駒くんのほうが浴衣すごく似合ってますよ! って言ったんです!」
「そう思うなら俺の顔見てや、なまえ」
 もっともなお言葉が降ってきた。ぎゅっと巾着袋の紐を握りつつ、視線を下向きに彷徨わせる。そうしていると、生駒が、ざり、とアスファルトに草履を滑らせて一歩下がる。
 ひゅ、と風が起こって、こちらを見上げる生駒とばちりと目があった。相変わらず男前としか言いようのない顔立ちが、和装を纏っている。粋、というのはたぶんこういうひとを言うのだろう。
 一瞬でしゃがみこんだのだと理解して、こちらを見上げる顔、の下の、露わになった、なりそうな内ももが目に入る。
「っ股! 生駒くん股! 閉じて、みえる!」
「あ、スマン忘れとった。……キャーッ、エッチ!」
「声が野太いよ!」
 声を張り上げると、きつく締めた帯に圧迫されて息苦しくなる。荒ぶる呼吸をなんとか穏やかにおさめた。大きめに出してしまった声は夏の夜と祭囃子に溶けていったようで、なまえたちを注視する人は相変わらずいない。
 立ち上がった生駒は、すんとした真顔のまましゃがんだせいで乱れた合わせを直している。こちらに視線が向いていないうちは見ることができた。節くれだった手が布の端を引く。布を上に引いて、かと思えば下に。慣れた手つきで数十秒もしないうちに乱れが整えられる。
「……それ、自分で着付けたの?」
「ん、せやで」
「すごいね」
 素直に声を漏らせば、そうか? と淡白な答えが返ってきた。そういえば彼は京都の出身だったか。浴衣をはじめとする和装も、なまえより着慣れているのかもしれない。紋付袴とか似合いそう、と想像してみて笑う。とてもしっくりくる。
「やっとこっち見て笑ろうた」
 すこしだけやわらげられた瞳がなまえを見ていた。真顔なのに感情はわかりやすい。嬉しそうな、顔だ。思わず顔をそらした。
「なんで」
「生駒くんがこっちを見てくるので、つい」
「えっわりとショックなんやけど」
「いいからこっち見ないでください!」
 顔に血がのぼっていく。熱いのは大声を出したせい、というには、顔が赤くなっていく感覚はあまりに性急だ。生駒も照れていることには気づいているだろうに、いじがわるい。
「そっぽ向いてるんもかわいすぎるからずるいわ」
 そこまで言われると、顔を背け続けるのも恥ずかしい。そろりと視線を戻して、けれど気恥ずかしさはどうしようもなく、発散させるかわりに生駒の脇腹に軽くにぎったこぶしを当てる。
「生駒くんのばか」
「うっ!」
 そっと触れたと言っても過言ではない程度の、衝撃もなにもないようなそれに、生駒は大仰に背をのけぞらせた。びっくりしてこぶしを引き忘れていれば、なまえの手を巻き込んで大きな手が触れた箇所を覆う。
「よし」
「いやなにがよしなの」
 大きな手がなまえの手を覆っている。あつく、こもった熱が手の甲に触れて、そこから全身へと熱が駆け巡っていく。
 手が触れ合うのは初めてではない。けれどほんの数回のことで、だからまだ緊張する。どちらのものかもわからないあつさが、境界をうしなっていく。いつかこの感覚も慣れっこになって、なんでもない顔でつなげるようになるのだろうか。
「屋台でなんか買うやろ? いろいろ見て回ったり」
「……する、ね?」
「ん、やから」
 軽くにぎっていたこぶしが開かれて、生駒の脇腹から離される。いつのまにかちゃんと繋がれていた手を引かれた。隣に並んだ生駒が、すこしだけこちらに視線を向けた。
「人、多いやろうし」
「そう、ですね」
 離れ離れになってしまっても今の時代は携帯があるから、いくらでも合流できるだろうけれど。はぐれないのが一番だ。生駒が手を握る力を強めた気がして、ぴくりと肩がぎこちなく震える。
「それに隣に並んどったら、顔見えんからなまえも照れんやろし」
「……お気遣い、ありがとう、ございます……」
 ふ、と生駒が前を向く。こっち見ないで、と言ったからだと気づいた。ぐいぐい押してくるくせに、こういうところはちゃんと、そしてわりとあっさり引くひとなのだ。気を遣ってくれたのだと、嬉しいやら情けないやら、ちょっと勿体無い気がするやらで尻すぼみに礼を言った。
 うん、と低い声がささやかな相槌で答える。
「やけど、こっそり見るんは許してな」
 自分に引き寄せるように手を引いた生駒が、なまえを見下ろして告げる。彼に近いほうの肩に熱を感じた。生駒を見上げると、街灯のせいで逆光になる。いつもと同じきりりとした真顔は、これは譲れないときっぱりと告げていた。輪郭が金に透けて、けれど眩しくないから、自分は彼の影にすっぽり入れてしまっているのだと気づく。
 すぐに目をそらしてしまう。なまえは生駒の手を引いて、歩き出すように促す。繋ぎなれていない手が震えそうで、動かし方がわからなくなりそうだった。けれど、このあたりの土地勘はなまえのほうが強いし、花火が見える穴場スポットにも案内することになっている。
「見たって得しないのに」
 近づいて来る祭囃子の音を聴きながら口を開いた。すぐそばに生駒の熱を感じながら紡ぐ言葉は、なんだか高く響く。
「なんで? こんなカワイイ彼女、穴開くほど見ても足りんわ」
「……いや、ほんと、穴が開くので、やめてください……」
「えっそれ死ぬんちゃう? 死なんといてほしい」
「じゃあころさんといてほしい」
 力なく応えれば、口数が多い生駒にしては珍しく返事がない。いつもはすぐ何かを言ってくるのに、と違和感を感じた。
「……なに?」
「いや……、方言真似してくんのカワイイなって思て。急にどしたん?」
 それは、だって、生駒の話す言葉をたくさん聴いたからだ。狙ってやったわけじゃなくて、つい、ぽろっと零れ出ただけで。でもそれを言うのはなんだか恥ずかしい。
「……生駒くん、すぐカワイイ言うのやめましょう」
「そんなすぐ言うてへん」
「言ってるんです」
 うまく話をそらせた。よし、と頷きつつ、前を見る。大通りに出るまでは少しあるが、ちらほらと屋台が並び始めていた。先に神社に向かうのがいいだろうか。
「……じゃあ……その浴衣、よお似おうてる」
「なっ、なんですか急に」
「カワイイって言わんかったらええんやろ? 似合ってるって、ちゃんと言うてなかったし。朝顔の柄も、夏らしくてええな。なまえによく似合う。髪も、いつもと違ってて、そういうのもスキ。実はちょっと、さっきな、ほんま別嬪さんやから声かけるの緊張したで。内緒やけど」
 すらすらと紡がれる言葉に、内緒になってないよと指摘する余裕もない。
「……俺のために着てくれたって思ってええ?」
「……」
「俺だけ浴衣やったらどないしようと思ってんけど。野郎の浴衣やし。でも浴衣のなまえと並べるんやったら着てよかったわ。うん、ほんと、よく似おうてる。カワイイ、あっ、今のナシ。キレイ、やな。……ゆっくり歩くけど、しんどなったら言うてな」
 穴があったら入りたい恥ずかしさだ。いや照れくささなのか。わからないけれど、とりあえず顔が熱い。生駒はよく素でこんなことが言えるな、と横顔をうかがって、ぱちりと目を瞬かせた。
 頬が赤い。朱の差した頬は、赤い提灯のせいだけではない。手を、そっと握り返せば、結ばれた唇がうごく。笑みになりきれないそれが、生駒と自分が同じ気持ちであることを教えてくれる。
「……照れてる?」
「俺じゃなかったら死んでるで。カワイすぎて」
「生駒くんくらいしか死なないと思うよ、それ」
「やったらええなぁ。譲りたないし」
 ぎゅっ、と確かめるように繋いだ手に力を込められる。殺し文句だ、と心のなかで呟いた。

「屋台の食べもんで何が一番好き?」
 と、訊ねられて。なまえは道の両側に立ち並ぶ屋台を見渡す。夜の闇は、屋台からもれる光とおいしそうなにおい、それから人の声に気圧されているようで、賑やかさはすこし耳に痛い。
 まだ人混みの少ない道を選んではいるけれど、人の流れはある。歩きながら周りを見るのは難しいが、かといって立ち止まるわけにもいかない。生駒がゆるく手を引くのに合わせて歩く。いつのまにリードが生駒に移ったのか、なまえには思い出せなかった。
 久しぶりに祭りの日に出歩くけれど、屋台のラインナップにはそう変わりもないだろう。通ってきた道にあったものを思い出して音にしていく。たいてい、どんなものも好きだ。
「綿あめ、とか?」
「なんそれカワイイ」
「あと、いちご飴も」
「ハァー! カワイイ」
「かき氷……」
「夏やもんなぁカワイイわぁ」
「……焼き鳥」
「うっわめっちゃカワイイ」
「語彙がなさすぎるのでは」
 思わず呟いた言葉は辛辣だったけれど、生駒は気にした様子なく手を繋いだまま歩いている。なまえの頬が赤くなっていることに気づいているのだろう。
「やっぱり、なんでもすぐカワイイって言いすぎです」
「……んー、やけどなァ……」
「やけど?」
「何でもアリマセン。あ、綿あめあったで。買う?」
「……しょっぱいの先食べてからにする」
 ごまかされた、と思ったけれど、深く突っ込むとこちらが返り討ちに遭う気がする。なまえも、生駒と付き合ってから色々と学んでいるのだ。焼き鳥見つけたら買おか、と生駒が言って、それにうん、と短く返す。
「ゲームとかはええの?」
 たべものの屋台の間に、ぽつりぽつりと小さな子どもが集まっているところがある。的当て、くじ引き、金魚すくい、それから最近は少なくなった型抜き。祭りといえば屋台のたべもの、というイメージだったが、言われてみればそれらも祭りの醍醐味だ。あまりやった記憶はないが、生駒はどうだったのだろう。
「ううん……生き物すくう系以外なら、ちょっとやってみたい、かも」
「嫌いなんや」
「生き物は好きだよ。ただ、あんまり長生きさせてあげれた試しがなくて」
「なるほど、それは確かになぁ。俺の実家におった祭りですくったカメは十年ぐらい生きとったけど、あいつ気張ってたんやな」
「十年か、すごいね。でもやっぱり、そのぐらいなんだ」
「いや、十年飼ってたぐらいで水槽から脱走してもうて。まぁどっかで生きてるんちゃうかな」
「……つよい」
 名前とかつけてたの? と聞いてみれば、亀吾郎、と返ってきた。思ったよりもそのままだけれど、吾郎はどこからきたのだろう。
「あ、焼き鳥あったで」
 生駒の言葉とおなじぐらいのタイミングで、なまえもそれを見つけた。ふわりといい匂いが漂ってきて、近づけばじゅうじゅうと網の上で焼かれている。もも、ネギマ、皮、それから屋台ではちょっと珍しいスナズリに、ハツ。手を引かれるまま屋台の前まで向かう。
「タレ? 塩?」
「うーん、塩かなぁ。生駒くんは?」
「どっちも」

 せやろなぁ、と溢れそうになって咄嗟に口を閉じた。思っていたよりも方言が移ってきている。さっき生駒に指摘されたせいで意識してしまって恥ずかしい。
 何にするん、と聞いてきたのは屋台の店主で、耳覚えのある訛りがある。生駒がずいっと前に出て、どうやら注文してくれるらしい。
「おっちゃん、ももと皮とネギマ、塩塩タレで三本ずつ。スナズリも?」
「うん。あ、ハツはちょっと苦手」
「じゃあ、あとスナズリ塩二本」
「あいよ。ニイちゃん、大阪の人?」
「それよお言われんやけど、京都や」
「あっ、それはすまんなぁ。おっちゃん大阪やから、つい」
「わざわざこっちまできてん?」
「そらぁ屋台なんてやってたら祭りあるところは全国どこでも行くわ。京都やったらこないだ祇園祭にも出してたで」
「あー、今年は行けんかったんよな。来年行けたらおっちゃん探すわ」
「お、ええん? そんな言われたらサービスするわ。お嬢ちゃん、どれが一番好き?」
 生駒と店主のやりとりを、よく喋れるなぁと見ていれば水を向けられて、びっくりして反応が遅れる。「ええと、かわ?」「塩で?」「あ、はい」と短く会話が終わって、喋り下手な自分になんだか喉が乾く。するりと手を離した生駒が、財布を取り出していた。あっ、と気づいて巾着袋から自分も財布を出そうとすれば、「いいのいいのお嬢ちゃん、彼氏に甘えとき。なぁ?」と店主が笑って、生駒が「せやで。しまっときしまっとき」と畳み掛ける。
 思わぬ共同戦線を張られて、けれど無抵抗で負けるのは、と財布を出したけれど、生駒はさっさと店主に支払いを済ませていた。いかにも体育会系、男の世界で育ってきた感があるのに、こういうときは驚くほどスマートで、それがちょっと悔しい。体育会系なら、後輩とかにこうして奢った経験も多いのかもしれないけれど。
「ええ彼女やん」
「せやろ。やらんで」
「とらへんわ。おっちゃんにも妻子がいますゥ」
「そらすんまへん」
「あ、お嬢ちゃん、いま焼くからちょっと待っててな。あれやったら隣で飲みもんこうたらええわ」
 と、店主が顎を向けた隣は確かに飲み物を売っている屋台だ。サイダーあるやん、と生駒が呟いて、離れていた手が再び握られた。
 自分の顔がずっと熱いことには気づいている。生駒がそれをからかわないのがせめてもの救いだった。彼氏とか、彼女とか、人から言われるとなまえは結構照れるのに、生駒は平気そうなのが羨ましかった。たぶん、性格の差だ。
 飲み物の屋台を出しているのは若い女性で、大きな保冷ケースの中に細かい氷が詰められ、そのなかにペットボトルや缶、瓶が埋まっている。
「生駒くんはサイダー?」
「おん。なまえは?」
「じゃあ、私も」
「サイダー二本な」
 財布を出していたから今度こそ先制できるはずだ、と思っていたのに、生駒が拳を突き出して、手を広げた女性に小銭を渡す。いつのまに財布から小銭を出していたのか。
「……ちょっとぐらいは私にもいいかっこさせてくれませんか」
「ヤ。カッコイイところは譲られへん」
 生駒くんのかっこつけ、と拗ねて唇を尖らせれば、「また今度な」と宥められる。保冷ケースからサイダーの瓶を二本取り出して、女性が生駒に渡した。昔ながらの、ビー玉が入った懐かしいサイダーだ。
「持つよ」
 と声をかければ、ぱちりと目を瞬いた生駒がちょっとだけ笑って二本とも持たせてくれた。やはり宥められている気がする。
「ニイちゃん、できたよ」
 と、隣から声がかかって、透明のパックにつめこまれた焼き鳥を二つ、店主が持ち上げている。塩とタレでそれぞれわけてあるのだろう。近寄った生駒がそれを袋にいれてもらうように頼んでいた。
 生駒は焼き鳥を受け取って、それから片方の手をちょいちょいと動かす。
「て」
「……ん、」
 瓶のサイダーは、上の方が細い。だからなまえの手でも、片手で二本持てる。少し手の大きさが足りなくて疲れるけれど、片手をあけるためならつらくはない。ちょい、と動いていた生駒の手に重ねれば、しっかりと握られる。
「座って食べられるとこってある?」
「もう少し進んだところにある、よ」
「ほな行こか。ちょっと先の方人多そうやけど、はぐれんといてな」
「生駒くんが迷子になってしまうもんね」
「そやけど、いややん。ふつうに。デートに来てるんに、はなればなれは」
 手を引く力は相変わらず優しい。死ぬのはやはり自分なのではないかと思った。


「あっ! イコさんっ!」
 そんな声が喧騒を突き抜けて耳に届いたのは、焼き鳥を食べ終えてぶらぶらとしつつ、屋台の射的に挑戦しようかと立ち止まったときで。隣に並んだ生駒が短く「しもた」と呟いたのを聞いてその顔を見上げる。生駒は声が響いた先を見ていた。ぎゅっと手が握られる。
 人混みの向こうから、なまえの知らないひとが近づいてくる。イコさん、と声をあげているのは薄茶色の髪をした人懐こそうな青年で、それを追うように女の子が、さらに後ろからのんびりと歩いてくる青年がふたり。
「ちょっ、海!」
「イコさん!」
 なまえたちの前まで躍り出た青年は生駒より少し背が低い。まだあどけなさの残る顔立ちは高校生ぐらいだろうか。ぶさかわ系の犬のキャラクターの仮面を斜めにつけて、きらきらとした視線が眩しい。
 屋台の店主が咳払いをしたので、慌てて屋台の間へと移る。なまえは手を引かれるまま歩き、立ち止まった。そうして落ち着いてから、生駒は改めて近寄って来た彼らに口を開く。
「海、急に走ったらあかんで」
 生駒と女性が海と呼んだ青年は、注意されて「ごめんなさい!」と素直に謝る。怒ったような様子の女性にも、「マリオ先輩もごめんなさい」と同じように謝っている。そこまで聞いて、なまえも彼らが誰なのかわかった。生駒から訊いたことのある、ボーダーでチームを組んでいる人たちだろう。
「それとデートの邪魔したらあかんわ」
 と、赤茶色の髪の青年が笑いながら言う。どんどんと人が来るので、思わず生駒に背に隠れてしまった。他人に言われるのは、だから、恥ずかしい。
「えっデート!? デートなんすか!? だってイコさん誘ったとき大学の友達と先約あるって!」
「そこは察してあげな、海。イコさんが普段つるんでるの男ばっかりやし、男ばっかで花火大会にわざわざ行かへんやろ?」
「た、確かに……! えっ待ってください、オレ行きましたけど去年! 男ばっかで」
 諌めて笑うのは整った顔立ちの青年で、生駒がしきりに顔がいいと言っている隠岐だろう。となると赤茶色の髪は水上くんで、女性はマリオ、ではなく真織さんだ、と生駒の背後から顔を出して伺いながら当たりをつける。
 そうしていれば、ばちり、と海と目があった。大きな瞳がじっとこちらを見つめて、思わず生駒と繋いでいない手で、彼の浴衣をぎゅっと握る。
 ――待って。自分は今もまだ生駒と手を繋いでいる? いや、それは。それは! 水上と隠岐の視線がちらりとそれた気がする。その先にあるのは、なまえと生駒の繋いだ手だ。
「イコさんの彼女、かわいいっすね!」
 ぱぁっと満面の笑みが浮かんだのと、なまえが生駒と繋いでいた手を離そうとしたのは同時だった。けれど手はがっちりと握られていて、ほどけない。海の視線から逃げるのも兼ねて、繋いだ手を背中側に引き込みつつ、生駒の背に隠れる。彼らに気づかれないようそっと手を離そうと試みるも、生駒の手はびくともしない。これは明らかにわざとだ、と気づく。
「せやろ」
「ばっ……! 海、あんたはもぉー!」
「まぁええんちゃいます? それよかイコさん、デートの邪魔してえろうすんません」
「ホンマに」
「あれ? ちょっと怒ってます?」
「俺はええけどこっちがびっくりしてしもたから」
 自分のことだ、と思ってまたも生駒の背中から顔を出す。正直なところをいえば顔の赤みが治ってからにしたいが、それを待っている時間もないだろう。生駒が楽しそうに語るチームメイトに、あまり悪い印象を抱かれたくはない。
 生駒の背中から彼らを伺えば、海と真織が申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「びっくり、しただけですよ」
 と声を出せば、物珍しそうな目が向く。驚くばかりで挨拶もしていない。手は相変わらず離れないので、半身だけ生駒の影から出て、ぺこりと頭をさげる。
「はじめまして。みょうじといいます。生駒くんには、いつも、お世話になっています」
「いやぁ、こっちこそイコさんの相手させて申し訳ないっすわ。面倒な人やし」
 答えたのは水上で、生駒がおい、とか、こら、とかツッコむ。つい笑みが溢れた。チームには関西の人が多いと言っていたけれど、実際に見ると仲が良くてほっこりする。
「生駒くんに相手をしてもらうの、楽しくて、それに好きなので……むしろ今日は隊長さんをとってしまってすみません」
「……あれや、真面目に答えんでええで、ホンマ」
 たぶん、生駒は照れているのだろうなと思った。いつもこちらを照れさせる仕返しだ。難点は、言った自分も照れてしまうことだけれど。
「ほな、おれら行きますね。イコさんと彼女さんも楽しんでください」
「おん。おまえらも気ィつけてな。マリオちゃんがナンパされんようがっつり両脇固めや」
「それうっとおしいだけやわ」
「まあまあ、隊長命令やし我慢してなマリオ。がんばりますわ」
 じゃ、と手を挙げた水上と隠岐が、もともと歩いていただろう人の流れに戻って、真織と海がそれに続く。海がぶんぶんと大きく手を振っているのを危ないと注意しているところは姉弟のようだ。なまえも小さく手を振り返しておく。

 彼らの声が祭りの喧騒にしっかりと紛れてから、生駒に向き直った。その顔をじっと見つめれば、少し気まずげに視線がそらされる。
「生駒くん」
「ハイ」
「……どうして手を離してくれなかったんですか」
「逃げるかと思て」
「逃げません!」
「ハイ」
「はず、はっ、はずかしかったじゃないですか!」
「ふかくおわびもうしあげる」
 生駒がぺろりと舌を出す。「かわいいと思ってるんですか?」とちょっと強めの口調で言ってしまったが、素直に言うとさっき食べたメロンかき氷のせいで鮮やかな緑に変わっているところなどとてもかわいいと思った。
「やけど、よかったわ。言っといて」
「……つ、付き合っていることを、ですか?」
「それもやけど、もういっこ」
 なにを、と首を傾げれば、いつもの真顔に戻った生駒がじっとなまえを見下ろす。
「カワイイ」
 またすぐそんなことを言って、と思って口を開きかけるけれど、それによりも早く生駒が言葉を重ねる。
「ホンマ、カワイイ。なまえ」
 相変わらずの真顔を、だから、やめてほしい。もう少し冗談っぽく言ってくれたら、なまえも何を言っているの、と笑えるのに。こんな真剣な顔で、声で言われてしまったら、ただ赤くなることしかできないではないか。
「すぐ言うなっていうけどな、言わな、他のオトコに先越されてまうやろ」
 倒れてしまわなかったことを誰か褒めてほしい。
「いちばんに言いたいんや、ゆるしてほしい」
 また会いましたね、地面。アスファルトくん。とか思いながら、うつむかせた顔を上げられないでいる。端のほうに寄っておいてよかった、心からそう思う。
「……なまえ?」
 すこしだけ伺うような声が聴こえる。恥ずかしいことを言っている自覚がないのが、生駒のわるいくせだ。自分だって照れるときはあるくせに、自分からこういうことを言う時は、絶対に照れない。
「……あり……が、とう」
 胸に何かがつっかえて、うまくしゃべれない。それでも何か返事を、と思って絞り出せば、「許してくれるん?」と嬉しそうな声がする。許せない彼女がいるはずないだろう、と思った。
 

 繋いだ手をほどかないまま歩いて、なまえは神社の石階段を登る。隣を歩く生駒は、あれっきり黙ってしまったなまえにも話しかけてくるけれど、それに生返事ばかりでちゃんと答えられないのは許してほしい。脳の処理が追いつかない。
 ひとまずなまえにわかるのは、もう花火の時間が迫っているということと、生駒に穴場スポットを案内する約束があったということ。それを果たすために、なまえは生駒の手を引いて石階段を登っているのだ。
 日の暮れた神社へ向かう人影はまだらだ。だいたいの人は先にお参りをすませているだろうし、石階段の入り口のあたりは屋台も少ない。神社の境内にも店は出せない決まりだし、何より花火大会の会場に向かっている人が多い。
 朱色の鳥居の先、古い歴史がありそうな石階段は両脇に灯篭が置かれているものの、ぼんやりと薄暗い。浴衣を着ているといつもと同じ歩幅では登れなくて苦労する。と、生駒が「ゆっくりでええよ」と声をかけてくれる。うん、と頷いて、ゆっくりと、一段ずつ登った。
 穴場スポットというのはこの神社のことだ。石段を登りきって、現れたふたつめの鳥居をくぐる。本殿は最低限の灯りがともるだけになっているが、生駒の手を引いて歩く。
「どこ行くん?」
「あっち」
 木々に囲まれた境内のなかで、提灯が連なる小道を指差した。
「あそこの先に、ひらけた場所があって。そこから花火が見えるんです。ちょっと小さいけれど。毎年、近所の人が見に来るから、神社の人がああやって提灯を飾ってくれるんですよ。あんまり人が集まらないように、三日目の夜だけ」
「なるほどなぁ」
 言いながら、小道のなかに足を踏み入れる。舗装されていないが、ところどころに石畳が埋められていて、両脇をたくさんの提灯が照らしてくれているので、歩くのには困らない。
 しばらく進めば急に視界がひらけて、三門市を一望、とまではいかないものの、高い場所から見下ろすことができる。人はそこそこいるが、人混みというほどでもない。
「おぉ!」
「意外と高いでしょ。参道がそもそもゆるく傾斜があるから、知らないあいだに結構高いところまで登ってるの」
 生駒のあげた歓声にすこし笑う。さっき生駒に落とされた爆弾によるショックからはだいぶ立ち直っていた。一心に石階段を登ったのがよかったのかもしれない。
 花火の光を邪魔しないようにか、小道に比べると光源が少ない。とはいえ、急斜面になっているところには柵があるし、それから他の人の持ち込んだらしい懐中電灯があたりを照らして、あまり危険は感じない。
 生垣のように平らな石を積み上げられた塀のうえに腰を下ろす。土埃は神社の人間が払ったのだろう、手のひらを滑らせても、石のつるりとした感触が返ってくるだけだった。
「会場で見るよりは小さくなるけど、きれいに見えるよ」
「ええ場所やな。案内してくれてありがとな」
「どういたしまして」
 混雑はしていないとはいえ、周りにも人はいる。小さな声でささやきあった。並んで座り、けれどお互いの体で繋いだ手は隠せるからと、ほどきはしない。
 空は暗く、薄く雲が伸びて月と星の光は弱い。風も吹いているから、花火と同時にうまれる煙もすぐに晴れて、綺麗に見えるだろうと思った。
 時間を確認すれば、花火の打ち上げ開始までまだ少しある。生駒の横顔を見た。自分で着付けたという浴衣が、やはりよく似合う。 近いけれど、薄暗いおかげであまり緊張しないで済む。生地の薄さもあってか、鍛えられた体がよくわかった。彼は、幼いころから居合を習っていたと言っていたから、それが理由だろう。今でもその体を鍛えていてくれているのは、いくらかは三門のためだが。
「……三門市の花火は、三年前からすごく豪華になったんだよ」
「なんで、っあ……スマン」
「ううん」
 関西から来ているといえど、ボーダーに所属しているだけあって理解が早い。
 そのことを語ろうと思ったのはなんとなくだった。せっかく生駒に三門の花火を見てもらうのだし、自分が教えられることもそのくらいだから。
「花火って、もともと神事の一環、……無病息災とか悪霊退散とか、それから慰霊として行われてたらしいんだけど、三門市の花火はずっと娯楽として扱われてたの。でも――四年前のあの侵攻があったあと、慰霊の意味を強めよう、ってなったみたいで」
 この街を襲った脅威のことを話すのは不思議な感じがした。あまりにも自分のおくる日常とはかけ離れているはずなのに、すっかり根付いている事実。なまえは幸いにも大きな被害を受けなかったから、余計にそう思う。
 警報音にも慣れた今となっては、心がどうしようもなく痛むのは百花荘が忙しくなる日ぐらいだった。数年前まではなかった、三門市中の人間が誰かに花を手向ける時期――最初の侵攻があった日だ。今年はもうそれを乗り越えて、そしてお盆さえもすぎてしまったから、心に少しだけ残っている痛みもじきに引いていくだろう。
 あれがなければ生駒はここにいなかったのだと思うと、胸の奥が波打った。会えなくてよかったのにとも、会えてよかったとも思う。
「中止にすべきって意見もあったみたい。ほら、花火の音って大きいから、あの日のことを思い出しちゃう人がいるんじゃないかって。縮小すべき、って意見もけっこうあったんだって」
「やけど、豪華になったんやな」
「そう」
 当時、なまえはまだ高校生だったから、大人たちが何を話してどうしてそう決めたのか、詳しいことは知らない。けれど、ある夜、仕事を終えた父が教えてくれた。来年の花火大会はすごくなるぞ、と。
「だって花火って、見てるだけで楽しいから」
「……慰霊の意味を強めよう、ってさっき言わんかった?」
「言った。でも、結局豪華にすることにしたのは、そんな理由らしいよ。もともと娯楽の意味合いが強かったし。花火で亡くなった方の魂の慰霊になるかはわからないけど、でも、少なくとも、生きてそれを見ている人は心を動かされるから」
 百花荘の店番をしているとき、いつも思うことがある。花を眺める人の横顔は、それが誰であっても、真剣で、幸福で、綺麗だ。そして夜に咲く花火を見上げる人の横顔も、その美しさに、一瞬で散ってしまう儚さに、目を奪われ、笑みが輝くのだと思う。
「だから、三門市の花火大会は、豪華なの。それはつまり、花は……まあ、花火なんだけど、花と数えるね。――花は人を励ます力を持ってるって、いろんな人が思ってくれたってことで、それって、花屋としてはすごく嬉しいことでね。……だから、直接見る機会は減っても、家でテレビ中継を見たり、遠くまで響いて来る音を聴いたりするとき、少し、安心? のような、そんな感じがする。ああ、今年も、これをみて笑ってくれてる人がいるんだなぁって」
 きゅ、と繋いだ手を強く握られる。それに慰められているような感覚がした。慰め、ではないのかもしれないけれど。受容、それから、いたわり、だろうか。慮られている、というのも近い。とにかく、それは嬉しい感覚だった。
「なまえの、花をみてる顔がすきなんやけどな」
「きぅ、きゅうになんですか」
「その理由わかった気がするわ」
 こちらを向いた生駒が、いつもの顔でいう。
「花の向こうに誰かが笑った顔を見とるんやな、なまえは。せやから、あんなにキレイなんやろうなぁ」
 やさしい声でそう言ってくれるから。まっすぐと自分を見て、その目に映っている自分はあまりにもキレイすぎないかとは思うのだけれど、けれど裏表なく告げてくれるから。
「……だ、だから、殺す気ですか、生駒くんは私を!」
「言うたやろ、先越されたないって」
「誰よりも早く私を殺す生駒くんじゃないですか!」
「そのキャッチフレーズええな。今度からつかお」
「使わないで!」
 声を荒げると、周囲が一瞬だけなんだ、という空気になる。向かって来る視線に息を殺せば、隣で生駒が「なんでもあらへんよ」とこちらを見ている人に告げた。すぐに賑やかさが戻ってきて、ほっと息をつく。
「ほら、そろそろ花火あがるんちゃう?」
「……みたい、ですね」
 今日も散々振り回された、と思う。けれどそれが、いやなわけではないのだ。ただ恥ずかしいだけで。もう恥ずかしいと慌てたくはない。生駒をどうにかするよりも、雫が諦めたほうがいい気さえしてきた。
「よそ見しとる?」
「考え事、です」
「前から思ってたけど時々敬語でるよな」
「生駒くんが私を驚かせるからです」
「焦っとると敬語になるんカワイイなぁ」
「だから! もう!」
「怒らんといて? 笑顔がいちばんカワイイで」
 これはやはり、慣れるしかないのだろうか。そう思っていれば、――パッと夜空が明るくなって、ドンっ、と心臓に響く音がする。花火が、打ち上がったのだ。
「始まったな」
「みたいだね」
 握った手はそのまま、周囲の人たちを同じように夜空を見上げる。
 こっそりと横目で伺った生駒の口元には笑みが浮かんでいて、そのことにそっと目を細めた。
 生きているひとが、上を向けるように。世界が褪せて見えるようになってしまったひとが、その美しさに心を震わせられるように。ほんのすこしでも、笑えるように。慰霊式典も、お盆も終わった夏の終わりに、三門市の夜に花が咲く。
 それをふたりで見れることは。互いの顔に浮かぶ笑みを、誰よりも近くでみれることは、ただ幸福だと思った。


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