あのはるのようきとは

 あの春の陽気とはずいぶんと懸け離れた、極寒の針葉樹林が再会の舞台だった。
 鳩原未来はわらってしまうくらいなにも変わっていなかった。トリオンのからだは彼女が世界を離れたそのときから止まったまま。揃いのスーツも。日焼けのない白い肌もそこに散ったそばかすも、顔にうっとうしくかぶさる傷んだ髪も。なにもかもがそのままに、彼女は豪雪の森に佇んでいた。
「鳩原、」
 犬飼の銃口は彼女の心臓を――その位置にあるトリオン供給機関を正確に捉えている。狙いを定めるのは犬飼のほうがはやかった。けれどいま、犬飼は彼女に銃を構える隙をゆるしてしまった。
 一瞬の逡巡のあいだに己へと向けられた銃口は、かたかたとちいさく震えている。吹雪く風に煽られて揺らぐのか、恐れがまだあるのか。笑みの浮かばない鳩原のかおから、それはわからなかった。
「なぁ、鳩原」
 なにを言おうとしているのか自分でもわからない。うすい苛立ちが腹の底に揺蕩って、言葉は迫ってくるのに喉がつかえてうまく出てこない。はく、と呼吸がもれる。吐息が白く凍り、トリオンのからだに、それでも燻った熱を告げた。
「はと、」
 声を遮ったのは乾いた銃声だった。鈍く設定された痛みはただの衝撃となって犬飼の胸を押して、気が付けば鈍色の空を見上げていた。ちらちらと舞い降りる雪片を避けることもできず、煩わしいそれが頬にふれる。ぶつぶつと認識が途切れるような感覚はこのトリオンのからだが活動の限界を迎えていることを知らせていた。
 積もった雪をかきわけて、鳩原が犬飼のとなりに立った。ぎゅ、ぎゅ、と、新雪を踏み固めたときの音がした。
「ごめん」
 あぁ、そういえばおまえはそんな声をしてたっけな。忘れていたことをひとつ思い出す。かすれた声、途切れかけた視界にうつる頬は青ざめていた。
 けれど、雪におちた言葉はそれだけだ。鳩原は踵を返した。ベイルアウトを見届けもしない。それはそうだろう。今の音を聴いて人が集まってくるのも時間の問題だ。撃ったら隠れる、が、狙撃手の鉄則だとか。
 ――撃てんじゃねぇか、このやろう。
 もはや声を発することもできず、まぶたを閉じた数秒後には、犬飼はやわらかなマットレスのうえに横たわっていた。


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