うすいくちびる

 うすいくちびるだった。かさついて、指のはらで撫でるとちくりと刺さるような感覚がした。
「鳩ちゃんさぁ、これはどうなの」
 冬の昇降口だった。巨大なボーダー本部がふかい影を落として、日暮れ前だというのに薄ぼんやりとしている。きん、と冷えた風のせいか、鳩原の頬が赤かった。伸ばしたままのぼさぼさの髪からのぞく耳も、それから荒れたくちびるも、すべてあかく染まっていた。
「なにが?」
 犬飼の指がふれているのも構わず、鳩原が声を落とす。「くちびる。荒れすぎ」おとがいに手を添えて、親指で鳩原のうすいくちびるをなんどもなぞる。べつにそうしたところで荒れが治るわけでもなし、むしろひどくなるとわかっていて。
「冬だから仕方ないんじゃないかな」
 "ん"の音をそのくちびるが形つくったとき、親指はやわらかく食まれた。言葉を終えて口をつぐんだときも。犬飼はつめでうわくちびるを弾くようにして、それから、ぎゅっ、とスタンプを押すように親指をくちびるへ押しつける。
「リップクリームぐらい塗りなよ。キスするとき痛いじゃん」
 面倒くさがりなことを知っていてそう要求してみた。案の定、鳩原はへらりと笑みを浮かべて、
「犬飼が塗ってるからいいでしょ」
 と、手入れのされたくちびるを食むために踵を浮かせた。


close
横書き 縦書き