さよならだってお手のもの

 なんだってできる、という自負があった。
 犬飼澄晴は生きていくにあたって、たいていはうまく立ち回れる人間だ。器用に、要領良く、狭苦しい水槽のような世界でじょうずに息継ぎができる。――鳩原未来とちがって。
 絵に描いたようなつくりわらい。それが彼女の唯一の武装だった。自信無さげに彷徨う視線は、照準を合わせるときだけ定まった。人の頭に十字を重ねる、そのはやさに息を呑んだことがある。しかし彼女は引き金を引くのに致命的なまでの時間を要し、どれだけ経っても撃ち抜けるのは頭ではなく武器だけだった。
 へたくそなやつだったのだ。生きるのが。溺れるようにもがいていた。いっそ沈んでしまえばいいのにと何度もおもった。おまえの息を継ぐためにおれが潜ってやってもよかったのだから。犬飼はなんだってできるから、そのくらいわけのないことだった。
 それなのに鳩原は犬飼を選ばなかった。ろくな武装もないくせに。まったく生き方がへたくそなまま。泡がはじけるように彼女の姿は空に消えた。
 ああ、べつにいいさ。おれはなんだってできるから。さよならぐらい、きっとかんたんなことだ。


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