結び目はかたく

「これ、どうやってむすぶの」
 首にかけた黒いネクタイの両端をつまみあげて、鳩原は途方に暮れた顔を犬飼に向けた。
「換装しなおせばいいじゃん」
 自分のネクタイをしゅるりと結びながら答える。「そっか」からん、と澄んだ声が頷いた。――トリガー、オフ。それから起動。しかし隊服のネクタイは乱れたままで、鳩原はへらりとわらって犬飼を見た。
「いぬかい、」
「……こっち」
 人差し指でこちらへ呼べば、従順に側に寄る。「ん」人差し指を顎に添えて、弾くように上を向かせた。鳩原が持っていたネクタイの端を奪って結んでやる。
「……やりにくっ」
 ちっ、と小さな舌打ちが漏れて、それに鳩原が笑った。
「なにわらってんの。鳩原が自分で結べたらしなくていい苦労してんだけど」
「ごめん。すぐ舌打ちするところ、二宮さんに似てきたなって」
「二宮さんじゃなくても舌打ちはするでしょ」
「うん、そうだね」
 会話を続けながら、犬飼は鳩原の背後に回った。自分のを結ぶときと同じ視点ならやりやすいかと思った。低い位置にある鳩原の肩に顎をのせて、首元を覗き込む。しゅるり、と中途半端な結び目を解いてやり直す。
「……鳩原はさ」
「うん」
「まだすきなわけ」
「うん」
「そう」
 鳩原が二宮を好いていることを知るのは、犬飼だけだった。彼女はそれを誰にも気取らせなかったけど、いちばん近くにいた犬飼にはわかった。
 気持ちが通じても心が通じるとは限らない。生き方が同じとは限らない。気持ちは、寄り添って生きるうえではほんの少ししか役に立たない。それをたぶん、犬飼とねっこはおんなじな鳩原も、わかっている。だからなにもいわない。仕草や態度にも出さない。
「二宮さんに習いなよ。結び方」
 きゅっ、と結び目を上まであげて、そう告げた。鳩原は一回見ただけで覚えられるほど器用ではない。
「ううん。もう外さないから、いい」
「あっそ」
 犬飼は興味無さげに呟いて、鳩原から離れた。椅子にかけたジャケットを羽織る。
「じゃ、行こう。二宮さんたちも待ってるでしょ」
「うん」
 自分のあとをついてくる鳩原のことを、犬飼はべつに、すきでもなんでもない。なんでもないんだ、と、こころのそこに向かって叫んだ。


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