マキアート

 掃除は上から。その鉄則に従い、天井と照明の埃取り、棚の拭き掃除にパントリーの整頓と作業を進めて、最後にようやく床へと辿り着く。いつもなら最終営業日のクローズ後に行う床掃除に取りかかれたのは、三十日の朝だった。
 真冬にしてはめずらしい穏やかな陽光が、がらんとしたフロアを淡く照らしている。月久曰く、フローリングは一度張り替えているらしいが、ヴィンテージと表現するに相応しい趣のある色をしていた。
 床に膝をつき、木目や板の隙間の埃をちまちまと取る。毎日掃除機をかけてはいるが、それでもいつの間にか溜まってしまう。次は固く絞った雑巾で一枚一枚汚れを拭う。綺麗になったら蜜蝋ワックスを塗り込んで終わりだ。
 今日を休みにしなければ大晦日までかかるところだった、とちいさく息をつく。
(……でも、ひとりでぜんぶやれたのは、よかったな)
 月久は知人が営むという小料理屋へおせちを取りに出掛けている。てっきり大掃除をきちんと進めていなかったことを呆れられて、仕方ないのう、と手伝われるかと思っていた。それは、有難いと思う反面、あまり喜ばしいことではない。
 けれど実際の月久は『そういう年もあろうな』と鷹揚に笑うだけで、前店主ではなく月子の祖父として『ま、ごはんのことはわしに任せなさい』と月子を一人で大掃除へ送り出した。
 甘やかされなくてよかった、と思うものの。もしかしてこの対応こそ、月久による甘やかしなのだろうか。いや、案外単純に、腰にくるからやりたくなかっただけかもしれないけれど。
 痛む腰をときどき伸ばしながらも、床を拭き清めていく。店内は静かで、いつも思考を掬いあげてくれるドアベルも今日ばかりはしんと黙っている。
 指で木目を辿る。傷は、やっぱり、ある。テーブルの脚の位置はへこんでいるし、椅子のまわりは傷が複雑な文様を描いている。けれど、それを嫌だとは思わなかった。傷すらも愛おしいものだった。この場で営まれてきたものの証だから。
 無心で床を磨いていると、とりとめもない言葉が浮かんでは消えていく。形になる前の、ふわふわと揺らめく光のような、普段なら気にも留めないような、思考のかけらたち。
 不揃いな木目にふれて、見つめて、手を動かすうちに、少しずつ、少しずつ、その輪郭が浮かび上がってくる。

 恋愛に対して嫌悪感とも呼ぶべき感情があるのは、それによってないがしろにされるものがあると知っているから――ないがしろにした人と、おなじ血が流れているからだ。月子が本当に信用していないのは、恋ではなく、それを抱く自分自身だった。
 おなじになっちゃう。
 だめにしてしまったら。
 いつかよぎったその声は、月子にそう警告した。母のように、大事だったはずの何かを捨て去ってしまうだろうと。自分がそうならないという確信を、月子は持っていない。
 だって月子は、すでに母を捨てている。
 かつて、少女は母に縋りつかなかった。そうすることもできたはずなのに、しなかった。母と向き合うことから逃げて、祖父のもとを、カフェ・ユーリカを、選んだ。月子だって、確かに母のことを好きだったはずなのに。愛していた人を自分のために捨てた。母とおなじことをしたのだ。
 だれかを好きになることは恐かった。好きなはずの人を、愛せなくなるかもしれない自分から目を背けていた。だれかを裏切ってしまう、そういう都合の悪い自分にはならないように。潔白でいたかった。ひとつもわるいことなんてしていないというていで、生きていたかった。
「恋愛をわるものにしちゃってたな」
 木目にぽつりと散り、もう落とせないしみを撫でながら囁く。雑巾を擦り付けた指先はじんと痛んで、爪と皮膚の間がぴりりとする。
 恋というものが、悪いわけではなかった。ただ自分が信用できないだけ。言ってしまえば、恋だろうと愛だろうと、だれかを好きでい続ける自信がないのだ。それなら友情がいいと、それだけあればじゅうぶんすぎるくらいだと思っていた。誰かを好きになるつもりなんてなかった。
 母があんなに楽しそうにしていた恋は、月子にとっては苦しく、恐ろしいものだった。失うことも、嫌われることも、こわい。楽しいことよりもうれしいことよりも、いやなことのほうが多い。
(……でも……、)
 それでも、やっぱり。
 あのとき迅を抱きしめたいと思ったことは、ここにいてほしいと願ったことは、嘘ではなくて。今も月子のこころの真ん中に、根付いて、しみついている。
――だから、月子はもう、変わってしまっている。
 そして変わらなければならないのだ。少なくとも、自分で自分の心を疑わなくてすむように。こわくても、一歩、踏み出していけるように。苦しくて、恐ろしくて、その先に痛みがあったとしても。
 迅のことが好きだから。できることなら、月子を迅の世界にいれてほしいと――好きになってほしいとさえ思うから。
 フローリングに薄く蜜蝋を塗り重ねる。蜜蝋は傷さえも包んで、やわらかに艶めいた。


「おかえり」
 すべての掃除を終えて二階に上がった月子を出迎えたのは、ダイニングチェアに優雅に腰掛けた月久である。手にハードカバーの本を持ち、老眼鏡のむこうに潜む黒い瞳は茶目っ気たっぷりに月子を見つめていた。いったいいつの間に帰ってきたのだろうと思いながら「ただいま」と口にする。出掛けていたのは月久のほうなのに。
「ちょうどいい頃合いだ、おやつにしよう。支部長さんがくださった羊羹を切ろうかの? それに合うような……マキアートを淹れてくれんかね」
 祖父には腰をさする疲労困憊の孫の姿は見えていないらしい。珈琲を淹れるための器具はすでに調理台に置かれていた。月久の仕業だ。つまり月子が上がってくる前から、そうさせるつもりだったということ。
「……はあい」
「できればマキネッタで」
 注文の多い祖父である。とはいえ、ぴかぴかに磨かれたキッチンを見れば祖父も色々と働いていてくれたことがわかる。それに月子がいちばん好きな珈琲を淹れるひとからご指名が入ったのだから、悪い気はしない。
 月久はもう少し本を読み進めることとしたらしい。視線を落とした祖父の邪魔をしないよう、手動のミルに豆を入れてコリコリと挽いていく。ゆっくりと、やさしく、豆に負荷がかからないように――というより、もう力が出ない。
 祖父のいう『マキネッタ』とは、直火式のエスプレッソメーカーである。真ん中がくびれた、一見すると変わった形のケトルのような形状をしている。三つの部品から成るシンプルな構造の器具だ。
 アルミで出来たプリーツスカートのようなものが土台で、水を入れて使うボイラーの役割。真ん中のくびれている部分は、分解すると漏斗のような形をしている。珈琲の粉を入れるバスケット――ドリッパーにあたる部分だ。そして上部の注ぎ口がついた部分が、抽出された珈琲が貯まるサーバーである。
 厳密には、これを使って淹れられた珈琲はエスプレッソではなくモカ――豆としてのモカでも、チョコレートを加えたアレンジという意味でもない、第三のモカ――と呼ばれる。月久曰く、電動式のエスプレッソメーカーが生まれる前のエスプレッソ、という立ち位置だそうだ。本場ではバルで飲むエスプレッソ、家で飲むモカと明確に区別されているらしい。
「モカってなんでこんなややこしいんだろ」
「皆に好かれておるからかのう」
 小さく呟いた独り言に返事があって、すこし驚く。月久はちらりと月子へ視線を向け、にまりと口の端を持ち上げた。
「好まれるものというのはたいてい多くの呼び名を持ち、また同時に、多くのものの呼び名に使われるわけだ」
「例えば?」
「愛だとか」
 からかうような瞳に口をつぐむ。月久はどこか悪どく笑みを歪め「なんとも便利な言葉よ」なんて宣う。
「愛などというものを抱いていると、不法侵入も許せてしまうしな」
「不法侵入?」
「おや? 夏の終わりに迅くんが忍び込んだのではなかったのか? この仰木家に」
「そっ……! それはおじいちゃんが手引きしたんでしょう!?」
 何気ない独り言からとんでもない方向に話が飛んでしまった。ガタン、とミルが揺れる。
「わしが手引きしたことと、おまえが迅くんを拒絶しなかったのはまた別の話だろう」
 いけしゃあしゃあと言われて、ぐっ、と言葉に詰まる。あの夏の終わり、寝ぼけた視界に飛び込んできた迅に、たしかに月子は嫌悪も恐怖も抱かず、安心したのだ。
「関係が壊れたって当然の事件だろうに」
「教唆したひとが何を仰ってるんですか?」
「だが間に受けたのは迅くんだからなぁ。いや魔が差したと言うべきか……、まあどちらでもいいことだな? おまえが受け入れたことに変わりはないのだから」
「それは……、」
「行動は言葉より雄弁に心を語る、というわけだ」
 そんなふうに言われたらまるで、あのときから迅が好きだったみたいだ――頬に熱が集っていくのを自覚しながらも、言葉を音にはしない。祖父のことだから『そうだが?』なんてしれっと返してくるはずだ。
「そう、結局は行動ということだな。名づけとは自他に向けて定義するということ。しかしてその行動――味わいこそが、事の本質だ。……ところで、とっくに豆は挽き終わっているのではないかな? 月子や」
 言われてみれば、ハンドルの手応えがずいぶん軽い。月久は悪戯っぽく笑って、再び紙面に視線を落とした。
 すう、と深呼吸して気持ちを切り替える。たしかに珈琲豆はとっくに粉になっていたようだ。蓋を開けると立ち上る香ばしいかおりを肺に満たせば、少し気持ちが落ち着く。
 マキネッタの下部、ボイラーに二人分の水を入れる。バスケットにはすりきり一杯分の珈琲の粉。平らには均すが、あまり強く押し込むと水が通らなくなるのでほどほどに。あとはマキネッタを組み立て直して、コンロの火にかけるだけだ。
 カチッ、チッチッチッとガスに火が灯る。蓋は開けたままにするのが本場風らしい。一般的なドリップは『滴る』という意味がそのまま示すように、上から注がれたお湯によって下へと珈琲が抽出されていくが、マキネッタの場合は逆だ。沸騰したお湯が圧力によりバスケットの細い管を逆流し、バスケットを経て、上部のサーバーにエスプレッソとして抽出される。
 月久からのリクエストはマキアートなので、電子レンジでミルクを温める。その隙に羊羹も切ってしまう。どっしりとした羊羹は切り口に小豆が淡く浮かび上がり、小雪がちらつく夜に似ている。そうしている間にマキネッタのお湯が沸いた。
 煙突のような形の抽出口から珈琲があふれる様子は見ていて楽しい。噴水というほど勢いはないのだが、どことなくわくわくとした心地にさせてくれる。圧力が足りないのでクレマはほとんどできないが、濃褐色の液体は薫り高い。
 コポコポと音が鳴り始めたのを合図に火からおろし、それぞれのカップにモカ・エスプレッソをそそぐ。ハンディタイプのミルクフォーマーで泡立てたミルクをそっとのせれば出来上がり。ちなみにカプチーノの違いはミルクの量。ほんの少しミルクを足すのが、イタリア語で『しみ』を意味するマキアートだ。
「お待たせしました」
 かしこまってマキアートと羊羹をサーブすれば「Merci」と月久も答える。そしてマキアートをひとくち含み、うむ、と頷いた。
「――本当はね、おまえに店を継がせるのは時期尚早やもしれんと思っていたのだよ」
 自分のぶんを手に食卓につこうとした月子を、月久のそんな言葉が出迎える。ぴたりと動きを止めてしまった月子に、月久はそのまなざしで席に促す。
「もっと外の世界を知ってから……それがおまえのためになるのではないか、おまえを愛するならばここに戻してはならないのでは、とな」
 カタン、と椅子に座りながら、思い出す。
 継ぐ気はあるか、と問われたときに飛び上がるほど嬉しかった。月久がもうしばらく後でもよいというのも訊かずに飛んで帰った。大好きな場所だからだ。けれどたぶん、ここにしか居場所がないと思っていた幼少期の記憶も、関係している。
 祖父が自分を外の世界に出そうとしていたことはわかっていた。彼はずっと、窮屈に閉じこもった孫娘の世界を広げようとしていたのだ。それが心配の情からくるものだと、わかっているけれど――改めて、ここにいるべきではないのかもしれない、と告げられると、心臓がきしりと痛んだ。
「だがそんなことより、エゴが上回ってしまった。ここがなくなることを想像すると、たまらなくさみしくてなぁ……かといって半端なものに譲るわけにはいかない。だから、わがままだったのだよ、おまえを呼んだのは。祖父としておまえを愛する気持ちより、自分の欲求のほうが強かったわけだ」
 ぱちり、と目を瞬かせる。月久は肩をすくめて、もうひとくちマキアートを飲んだ。「やはりモカ・エスプレッソは力強いのう」としみじみと呟く声は、やさしい。
「……、つまり?」
「おまえがここを選んでくれて、おじいちゃんはうれしい」
「それは、だって……好きだから。お店のことも、おじいちゃんのことも。ここを継いでいいって言ってくれて……私のほうこそ、うれしかったよ」
 何かを選ぶということは、何かを捨てるということだ。捨ててしまったことを、悔やんでしまうときはある。逃げ出したのだ、楽な方へ流れてしまったのだと、自分を責めるときも。それでも、この場所にいられることそのものが、嫌だったときはない。
「ならば、わしのエゴもそう悪いものではなかったか?」
 月久はまるで月子の気持ちを利用したように言うけれど、きっとそうではない。月子を外に出そうとしていたことが愛だったのなら、月子を呼び戻したことも、きっと愛と呼べる。なるほど、便利な言葉だ――そう思いつつも、小さく笑みがこぼれる。
 きっと、この場所を選んだ自分にも、愛と呼んでいいものはあった。ただの逃避先ではなく、この場所だから。愛していたから、選んだのだ。
「しかし、心配なぞ杞憂だったのだろうな……おまえのお客様たちにも感謝しなければ」
「……そう、だね」
 月子のお客様。店とともに祖父から受け継いだ常連客はもちろん大事だけれど――月子がカウンターに立つようになってから出迎えた、たくさんのひとたち。格好良くて、優しくて、芯があって、月子の知らない世界にいるひとたち。
 彼らがいたから、月子の世界は閉ざされずに済んだ。何かを捨ててでも選び取りたいものがあったのだと、気付けた。友人ができたし、好きな人までできてしまった。
「……さて、冷める前に飲んでしまいなさい」
 自分で淹れたわけでもないのに得意げに言って、月久のほうは羊羹を黒文字で切り分けて、ひとくち口に放り込む。照れているのかもしれない、と、ふと思った。照れるなんて月久の辞書には到底なさそうだけれど、それでも。
 ほんのすこし、認められた気がした。この場所に居る、この場所を選んだ自分のことを、信じられるような気がした。たぶん、この場所で、彼らに出会えたからこそ。そしてその出会いを連れてきてくれたのは――月子の最初のお客様だった。
 マキネッタで淹れるエスプレッソは、機械で淹れるものよりもパンチのある味わいに仕上がる。かかる圧力の違いで、珈琲の雑味と呼ばれる部分が出てしまうからだ。別物扱いされるのも納得の風味は、けれど味わい深いとも言える。
「……久しぶりに飲むと、この味もおいしいね」
「雑味がよい味を出しておるよ。〝しみ〟もな」
 強すぎる苦味はフォームミルクがやわらげ、口当たりもほんのりと優しくしてくれる。今回は羊羹がとても上品な味わいだから、少々野趣が利きすぎているようにも思うが――たまにはこんな組み合わせも悪くはないだろう。


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