チーズフレンチトースト

 カフェ・ラッテに使うスチームミルクを泡立てながら、月子はカウンターの端に座るその人を見た。上背は高く、腕には筋肉がついて月子よりも何回りか太い。恵まれた体格を押し込めるように濃紺の三つ揃えのスーツを隙なく纏い、鋭い視線は手元の書類に向けられている。
 ちらりと覗いた手首に巻かれた腕時計は文字盤の中にもうひとつ、さらに小さな文字盤が埋め込まれていた。見えたのは一瞬だったが、どうも時間がずれているようだ。世界中を飛び回る人だから、まだ時差を直していないのだろう。あるいは、あえてそのままにしているのか。
 角ばった指先が、つう、とカウンターの木目をなぞった。ついさっき出したばかりの珈琲は半分まで減っている。その眼差しが自分に向けられないうちに、月子はそっと視線を外した。とん、とん、と指先でカウンターを叩く音がかすかに聴こえる。
 スチームミルクの入ったピッチャーの底を作業台で叩いて、エスプレッソの抽出が済んだカップの中へ注ぐ。初めは勢いよく、それからそっと力を抜いてペースを落とす。作り出されたハートは、練習のおかげで均整のとれたかたちだ。
 出来上がったものはテーブル席で読書をしている女性へと給仕しに行く。「お待たせいたしました」いつもの言葉が、ほんの少し硬く響く。
 カウンターの端に座ったその人の背中は、相変わらず大きく、そして親しみにくく感じた。あの背中に振り向いて欲しかった時期のことを思い出しながらカウンターへと戻る。
 その途中――からんっ、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「よ、仰木。元気だったか」
「元気でしたよ、東くん」
 入ってきたのは東だ。授業終わりなのか、大きな鞄にトートバッグの大荷物である。トートバッグは本でもいれているのか、角ばるように膨らんでいた。
 「元気でしたか?」と返しながら、心臓がややうるさく鳴っているのを自覚した。「ああ、元気」なんて笑いつつ、東がいつもの特等席に座ろうとして、カウンターの端に座るその人に気付いたらしい。そちらを見て表情を変えた。
 大きな背が振り向き、蒼みがかった黒い瞳が月子を見る。しかしすぐに逸らされて、だから月子も足早にカウンターへと戻った。
「お好きなお席へどうぞ」
 東はまだカウンターの端へ視線を向けながらも、いつもの落ち着いた足取りで特等席へと向かう。
 月子がお冷を出したとき、微かな物音とともにその人が立ち上がった。
「少し出てくる」
 いつになく低い声だ、と思った。年齢に応じた渋みが滲んで、声に厚みがある。珈琲が入っていたカップは空になっていた。
「はい。わかり、ました」
「邪魔であれば荷物は片付けても構わない」
「はい」
 ひとつ頷いた間に、その人は書類と携帯端末を手に外へと出て行く。からんっ、とドアベルが鳴った。その音色が鳴り止むのを待ってから、そっと息をつく。
「……はぁ」
「知り合い?」
 ため息は思ったよりも大きく響いて、それに東が反応する。知り合い、といえば知り合いだ。
「……、父です」
「今のが? 仰木のお父さん?」
 驚きに目を開いた表情が珍しくて、少しだけ気持ちが凪いだ。
「そう、お父さん」
 返しながら、若干の気恥ずかしさがある。友人に身内を、それも父を目撃されるというのはなかなか不慣れな経験だ。いや、そもそも店に父がいるのが、とても珍しいことだった。珍しいどころか生まれて初めての経験、くらいの勢いだ。そのせいかやけに緊張してしまって、授業参観日の同級生たちはこんな気持ちだったのかとようやくわかった。
 視線を店の外に向ける。月子の父、仰木三月は誰かと通話をしているようだった。きっと仕事の用件だろう。数少ない思い出の中でも父はいつも耳に携帯端末をあてていて、そして、仕事で急用ができたと家を出る。朝、起きたときにそのことを母や祖父伝手に訊いて、さみしくなるべきなのにほっと息を緩めていた。
「そういうことなら納得だ」
「なにが?」
「仰木と話してるときに恐い顔で見てただろ。父親なら、まあ、娘と親しげな男にああいう顔するもんか、と」
「どうだろう。いつも恐い顔だから」
 苦笑を落とす。父である三月は、とにかく人避けを促すような容貌をしている。180センチを超えるかという長身に、スーツが窮屈そうながっしりとした身体。鍛えるのが趣味のようなやつよ、というのは祖父である月久の言葉だ。若々しい黒髪は短めに整えられて清潔感があるが、そのせいで眉間に刻まれた皺がよくわかる。
 蒼みがかった黒の瞳だけは月子と似ているものの、その視線は鋭く、表情の変化も乏しい。そのせいで強面という言葉がよく似合ってしまう。怒っていなくても恐い顔で、そんなつもりがなくても睨んでいるように見える瞳なのだ。それを月子が理解したのは、だいぶ成長したあとのことである。
「それに、仰木が俺に敬語使ってきたし」
 その言葉に思い返してみる。どうして敬語だったのだろうかといえば、その答えはやっぱり三月の存在にあるのだろう。
「ちょっと緊張して」
「お父さんにも敬語だったな」
 痛いところを突かれる。からかい混じりの言葉にはそれほど落ち込まなかった。さすがに自覚していることだ。
「距離感が、わからないときがある、というか……」
「あんまり会わないんだっけ? 海外で仕事してるって、前に言ってたよな」
「うん。今日のお昼に突然帰ってきて……事前の連絡もなかったからびっくりしちゃって」
 びっくりして。それで、まだ帰ってきた理由を訊けないでいる。ここは三月にとっても家であるのだから、帰ってくることにそれ以上の理由はいらないはずだけれど。
 でも、そこに何か理由があるはずだと思ってしまうほど三月は多忙で、家に帰るためには半年前から仕事を調整しなければならないことを知っている。それでも帰ってこられない方が多いくらいだ。
「まあ、仰木に会いたくなったんじゃないか」
 月子の知る三月は、そんな軽い理由で家に帰ってこられる人ではなく、家に帰ろうとする人でもない。けれどそれは東は知らないことだし、わざわざ教えるようなことでもなかった。
「それか、仕事があったのかな。こっちで」
 やんわりと否定の言葉を挟みつつ、「ご注文は?」と問いかける。
 こういうふうに都合の悪い話を切り上げてしまうのも、自分のずるさかもしれないな、とふと思った。あの日の太刀川の言葉は、今も月子の脳裏で時々蘇る。父も、よりにもよってこんなタイミング――頭のなかがぐちゃぐちゃのときに帰って来なくても……と少しだけ思ってしまう。彼を見ていると、どうしたって母とのことも思い出してしまうから。
 とはいえ、ずるいと言われようと、友人でありお客様でもある東の前でそうそう思い悩んでもいられない。
「そうだな……今わりと腹が減ってて。何かおすすめあるか?」
 東は素早く話題の切り替えに応じる。友人に心配をかけるのは本意ではないが、機微に敏い東のことだから、何かしら勘づいたうえでそうしてくれたのかもしれない。何も言わずに意図を汲んでくれたことに申し訳なくも助かってしまう。
「チーズフレンチトーストはどう? 一昨日からの新メニューで、普通のフレンチトーストよりも甘くなくておかず寄り」
「お、珍しい。期間限定じゃないのか」
「うん。軽食、増やしてみようと思って。ほら、生駒さんとか、よい食べっぷりだし」
 ごはんを大きな口で頬張る生駒を思い浮かべて、ふふ、と笑みがこぼれた。肩の力がすこし抜けて、今は店にいない彼に感謝する。
 期間限定メニューの多さには定評のあるカフェ・ユーリカだが、通年で提供しているメニューも少ないわけではない。けれど定番に新しいものを加えるのは――もしかしたら月子が店を継いでから初めてのことかもしれなかった。
「十九歳なんてまだまだ育ち盛りだしな」
「あとは響子とか」
「……まあ、沢村だから」
 三人で食事をしているとき以外も、彼女はいい食べっぷりらしい。ただたくさん食べるというのではなく、彼女はほんとうにおいしそうに、きれいに食べてくれる。おまけに表情が素直で、人懐こいから、言葉でも仕草でも、全身で「おいしい」と言ってくれるのだ。そういうところが好ましいのだ、と月子も東も思っている。
「じゃあそれとコーヒーで」
「かしこまりました」
 恭しく頷いてみせて、早々と用意に取り掛かる。慣れた人たちを思い浮かべて緊張はやや解れたものの、いつもより手際よくやろうという気負いがあることは否定できなかった。

 パンは冷凍したフランスパンを電子レンジで解凍する。一度冷凍したものの方が、隙間ができて卵液の染みがいい。サンドイッチに使わなかった余り物を冷凍しているので、店としても都合が良かった。一人分は厚めを二枚だ。
 冷蔵庫から出した卵をボウルに割り入れて、泡立て器でしゃかりしゃかりと混ぜる。牛乳と塩、胡椒に粉チーズ。解凍が終わったフランスパンに、上から卵液を注ぐ。それから再び電子レンジにいれて、一分半ほど加熱する。こうするとまたパンが卵液をよく吸収してくれる。もう少し店のコントロールが上手ければ前日からじっくりと仕込めるのだが、無理はしないことにした。
 あたためている間にベーコンを厚めにスライスして、小さなフランパンで火を入れる。フレンチトーストとベーコンの相性はチーズが加わっても変わらない。卵とベーコンとチーズが合わないはずがないのだ。
 珈琲のお湯を沸かしつつ、電子レンジの音に導かれるまま蓋をあける。菜箸でパンをひっくり返して、もう一分半だ。
「仰木さ」
「なに?」
 チーズフレンチトーストはどっしりとした味わいだから、合わせる珈琲はすっきりとした飲み口のものを選ぶ。コーヒーミルにセットしたところで、東から声がかかる。
「迅とデートしたんだって?」
「しっ……してません、から! 普通に出かけただけで」
 どうして東にまで話がいっているのか――よりにもよってな人から言われて、頬に熱が集う。できれば今は、その名前を他の人の口から訊きたくない。いろんなことを意識してしまうから。
「世間じゃそれをデートっていうんだぞ」
 お冷のグラスを持ちながら東がにやりと笑った。わざと言ってるな、と思う。こういう意地の悪さは、年下の後輩たちにはあまり見せていないのだろう。でなければ二宮をはじめとしてあれほどの人望があるはずがない。
「私の世間では言わないんです。だいたい東くん、話題がちょっと古いよ」
「いや、ほら、迅から訊いてるかもしれないけど、最近忙しくてな。新入隊員の指導とかで」
 それはお疲れ様です、という言葉は少しばかり棘のある言い方になってしまった。挽き終わった豆をドリッパーにセットして、指先で平らにならす。
「そもそも東くんだって私と食事に行ってるでしょう。普通の、デートじゃないやつ」
「そうだな」
 はいはい、と馬をいなすような態度がかえって口を滑らせる。
「それに、デートって付き合ってるひとがやるものでしょ」
「いやそれはおまえ、」
 ベーコンをひっくり返しながら言うと、東の呆れたような声が聞こえた。
「考え方古くないか? 女同士で出かけることもデートとかいうだろ、女子は」
「…………言うけど。でも古くて結構です」
 フライパンをもう一つ熱して、バターを溶かす。焦がしバターのいい匂いが立ち込めたら、電子レンジから卵液に浸ったパンを取り出して二枚を並べた。焼き目をつけた後は蓋をして軽く蒸すとふっくら仕上がる。それより先にお湯が沸いた。「珈琲、もう淹れていい?」「任せるよ」という短い会話を挟み、ドリップに取り掛かる。
「しかし苦労するな」
「してません」
「いや仰木じゃなくて。……まあいいか、ありがとう」
 月子が淹れたばかりの珈琲を手にとって、東が口元へと運ぶ。あちっ、と小さく呟いていた。
 フレンチトーストの焼き目を確認してからひっくり返す。蓋をして、ベーコンのフライパンはキッチンペーパーで余分な油を拭う。
「ベーコンはカリカリ派? 炙るだけ派?」
「カリカリの方がいいな」
「わかった」
 ではもう少しこのままでいい。もう一度ひっくり返す。
「仰木にとってデートはどういう条件があるわけ?」
「まだその話続ける?」
「折角だし」
「……だから、デートは付き合ってるひとたちが出かけることだと思ってるよ。はい、この話終わり」
「俺は付き合ってなくてもどっちかに恋愛感情があったらデートだと思うが」
「東くんの意見は知りません」
 つん、として言うと、東が苦笑を浮かべる。同い年なのにやれやれ仕方がない、なんて顔なのがなんとなく気に入らない。
「……そういう東くんはさぞデートの経験がお有りのようで」
「人並みにはな」
「響子から訊いてるよ」
「あー……まあほら、人並みには、な」
 つい、と視線を逸らしたので月子は満足だ。響子から詳細は聞いていないが、あまり褒められたものではないらしい。
 他人の恋愛事には何も思わないのにな、と月子はじっと東を見つめる。当人同士で納得の上で物事が進んでいるのなら、そこに他人が口を出す権利はないと思う。好きにしたらいいと、思う。だからやっぱり、それが自分のもとにやってくることだけが、いやなのだろう。
「言っておくが、不義理なことはしてない」
「はいはい、わかってるよ」
 月子のまなざしを責められていると思ったらしい。ちょっとだけ必死な様子で言われたのを仕返しとばかりに聞き流してから、フレンチトーストの様子を確認する。いい頃合いだった。
 黄色には青色が映える。ということで深い蒼の皿を出して、その上にフレンチトーストを並べる。ベーコンを添えて、小さなピッチャーにメープルシロップを注いだ。ベーコンとメープルシロップは合う。
「お待たせいたしました、チーズフレンチトーストになります」
 カトラリーと一緒に出せば、「うまそう」という言葉とともに受け取られる。それは一口を食べてすぐ「うまい」に変わった。よく卵液が染み込んだフレンチトーストは舌触りがよく、ベーコンと一緒に頬張れば脂の旨味と塩気が風味をさらに良くしてくれる。
「チーズ、わりと控えめだな。とろけるチーズとか載せてもうまそう」
「なるほど。次からオプションに加えようかな」
「流石」
 短い言葉ではあったが、嬉しそうな顔だった。ひとまずはそれに溜飲を下げて、月子は片付けに入った。

 東が食べ終わったチーズフレンチトーストのお皿を洗っていると、三月が店内に戻ってきた。
 てっきり荷物を纏めて、仕事が入っただの言ってまたすぐ店を出るかと思えば、カウンターの端に腰を下ろしてまた書類に目を通し始める。
「月子」
「はい、なんでしょう」
 三月に呼ばれ、すかさず応える。しかし父に呼ばれたにしては畏まりすぎた返事だろうかと頭を悩ませた。東が笑っているような気がする。
「珈琲を」
 その鋭い瞳がカウンターの上の空のカップを撫でた。さっき空になったことには気づいていたのに、下げ忘れていたカップだ。その失敗を見咎められたような気がして、胸の奥が少し冷える。
「同じ豆で、いい?」
「ああ」
「うん、わかった」
 馴れ馴れしい口調に自分でも少し違和感があった。けれど三月は何も言わず、ただ静かに書類を読み込んでいる。
 父は、いつまでここにいるのだろう。空のカップを引き取って、お湯を沸かしながら考える。明日は店の定休日だけれど、明日もいるのか。いやその前に、今日は二階に泊まるのだろうか。あとで確認をしなければと思いつつ、その横顔をちらりと見た。
 ――父が何を思っているのか、月子にはわからない。
 わからないことばっかりで、頭の中の整理が追いつきそうになかった。

   *

 三月がやってくる少し前まで時間は遡る。城戸と話した日の午後、いつも通り誰もいない店内にやってきたのは迅だった。
「いらっしゃいませ」
 紡いだ声は、ちゃんといつもと変わらずできただろうか。いつになく緊張している月子を、迅は不思議そうに見つめていた。
「なんかお疲れのご様子?」
 と、やわらかな笑みを浮かべて迅が問う。月子は少し悩んでから「実はちょっと、寝不足で」と答えた。夜更かしはよくないよ、と迅は笑って、カフェ・ユーリカの特等席に座った。そのいつもの光景を見ると、なんだか安心した。

 カフェ・ラッテでつくるリーフもだいぶ形になってきた。月子は、目の前の青年をじっと見つめる。ラテアートを崩さないようゆっくりとカップを傾ける迅は、こちらの視線に気付いているのかいないのかよくわからない。
 ――迅がほんとうに月子に恋をしているのかどうかも、よくわからなかった。
 恋をしたくない、ということを自覚した月子だけれど――そもそも、迅が月子に恋をしているという確証はない。月子は無自覚に、けれど意図的にそれと無縁となるよう生きてきたのだ。私のことが好きなんですか、なんてことが訊ける度胸はないし、言われずとも察そうとするにはあまりにも経験が足りない。
 これで勘違いだったら目も当てられない、というのも月子に行動を尻込みさせる。それに好かれているようだとは思っても、迅のほうにそういうつもりはない、というのも十分にあり得る。ひとりで勝手に思い込んで気持ちを塞ぎ込んでいるなんて笑い話にもならないな、と少し冷静になったのである。
 店主とお客さん、友人、姉と弟のような。迅との関係はそうであるはずで、その域から出ているような気がしても、真実それは親愛ではなく恋心なのだと言い切ることはできない。
 だから、迅が自分をどう思っているのかなんて、考えたって仕方のないことではある。重要なのはむしろ――自分の気持ちだった。それがまた厄介で、自分のことなのに全くよくわからない。
「どうかした?」
 顔をあげた迅と目が合って、月子は微笑んだ。彼の心は読めないし、自分の心さえもよくわからないが。それでも、少なくとも今の月子にとって、迅は変わらず大切な『私のお客様』だ。
「実は今日、城戸さんと久しぶりにお会いしたのですが……城戸さんは、わりと、面倒見のよい方ですよね。お父さんみ、というか」
 迅くんを見てボーダー繋がりで思い出しました。そんなことを告げると、迅は一瞬だけ驚いたような顔をする。おや、と思ったが、すぐに迅は頷いた。
「……うん。実はそうなんだよ、あの人は。……昔から、そうなんだ」
 それはとてもやさしい表情で、どこか懐かしむような響きが込められている。月子が「やっぱり」と相槌を打つと、迅はゆるやかな笑みを浮かべた。本当に親しげな、親愛をこめたまなざしで――だから、迅はもしかしたら城戸のことを父親のように思っているのでは、などと推測がよぎる。玉狛支部の支部長への誕生日プレゼントを選んでいたときもこんなふうなやさしい顔をしていたから、迅にとってボーダーの人々は家族みたいなものなのかもしれない。
「月子さんのお父さんは、城戸さんにちょっと似てるんだっけ?」
「私の父ですか?」
 予想外の質問に、ぱちりと目を瞬かせる。言いたくないならいいけど、と、迅がそう思っていることは言われなくてもわかった。月子の家庭事情を知る迅がそれでも訊いてきたのは、城戸に対して『お父さんみがある』と言ったからだろう。
 別に、父のことを話すのは構わなかった。これが母のことだったら、きっと困ってしまったけれど。
「城戸さんに似ているといえば、似ていますね。だから唐沢さんが驚いたって言っていました。私にも祖父にも性格が似ていないので」
「月子さんと月久さんに挟まれるひとがそんな感じなの、確かに意外」
「そういうものなんですかね。でも、結局、私には父のことがよくわからないです」
 端的に答えて、それから苦笑とともに頷く。
「……うん、わからないんですよね。お父さんっぽい、のがどういうことなのかはわかるんですけど、実際のお父さんがどういうものなのかって、あんまり」
 そうなんだ、と迅は驚きもなく応えてくれた。
「でも……もしかしたら、父も『お父さん』がどういうものなのか知らないんじゃないかと、思ったりもするんです。父が幼い頃、祖父も頻繁に家を空けていたみたいですから」
 夫らしいことも父親らしいこともあまりできなかったと、酒に酔った月久が口を滑らせたことがある。それなら仕方ないのかもしれないな、とまだ中学生だった月子は思ったのだ。
 月子の言葉に迅は神妙に頷いて「そうだと思うよ」と一言だけ囁いた。


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