ローズヒップ&オレンジ

 じりじりと肌を焦がす熱と、まばゆい視界。しゃわしゃわとした蝉の鳴き声がいかにも夏盛りだ。暑さにへたった草木に如雨露で水をやっているだけで、うなじから背にかけてじわりと汗が滲む。
 朝、まだ空気が熱を帯びる前に世話をできなかったのは失敗だった――月子はうっかり忘れていた自分を恨みながら、午後二時の強烈な太陽光を浴びていた。さっさと水をやり終えて、ほどほどにクーラーを効かせた店の中に引っ込んでしまいたい。
「こんにちは~、月子さん。やってる?」
「ひゃあ⁉」
 前ぶれなく響いた声と、背中の真ん中をつぅっと何かが這う感覚。二重の驚きに声をあげて振り返れば、そこには見知った青年の姿。
「うわっ、」
「あっ、ごめんなさいっ」
 如雨露を持ったまま勢い良く振り返ったせいで、後ろに立っていた青年へと水が飛んでしまった。ちょうど植物に水をやり終えたところなので、中に残っていた水はそう多くなかったはずだが、青年のズボン、太腿のあたりに水滴が飛び散っているのが見えた。ひやっ、と頭が冷えて、月子は慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません……!」
「読み逃してたか……」
 というかそもそも、おれが悪い。そう、青年が笑いながら呟いた。
 たしかに、と思わず頷いてしまった月子を見て、青年は口の端に笑みを浮かべる。怒ってはいなさそうなので、ひとまずほっと息をついた。
 明るい色の前髪を後ろに撫でつけさらしたおでこ、くっきりとした二重の瞼に、親しげで人懐こさを感じるまなざし。流石に今日はいつもの青い上着は羽織っておらず、黒いTシャツにジーンズというラフな格好だった。
「とりあえず、中へどうぞ、迅くん。タオルを持ってきますね」
「すぐ乾くしへーきへーき。それより喉渇いててさ。何かつくってもらってもいい?」
 迅くん、と呼ばれた青年は目を細めて笑って「おかまいなく~……あ、やっぱ構って」なんて続ける。冗談めかした物言いは月子に罪悪感を抱かせないための心遣い、なんて、深読みしすぎだろうか。
 けれど、目の前の迅という青年ならばそれもありそうな気がするのだ。月子は苦笑しながら「よろこんで。どうぞ」と、迅を店の中へと誘った。

 店内は冷房が効いており涼しい。冷えた空気が浮かんだ汗をやさしく撫でていく。控えめな温度設定以上に不思議とひんやりとした空間の秘密は、前店主である祖父からもまだ教えてもらっていない。月子は迅に特等席を勧めつつ、自分はカウンターの中に戻る。
 『staff only』と書かれた扉の向こうに如雨露を置いて、手近な棚からタオルを出す。いらないとは言われたが、それを鵜呑みにするのは店主として許せない。
 迅にふかふかのタオルを差し出せば、苦笑しながらも「ありがとう」と受け取ってもらえた。手をしっかりと洗ってから、キッチンでの定位置に立ち、迅を窺う。
「お昼は食べましたか?」
「うん、玉狛でレイジさんたちと。でもうっかりしてた、朝からあんまり飲んでなかった」
「倒れないよう気をつけてくださいね」
 言葉とともに冷たい井戸水をグラスに注いで出せば、迅はごきゅごきゅとあっという間に飲み干した。相当に喉が渇いていたらしい。
 うっかり、という言葉に自分もうっかり植物に水をやることを忘れていたのを思い出して、気をつけようと心に留める。さっき月子が水をあげたテイカカズラとクチナシも、こんな風にごきゅごきゅと水を飲んでいたのだろうか。それならば申し訳ないことをした。
「じゃあ、何をご用意しましょうか。水をかけてしまったぶん、サービスしますよ」
「……いつも思ってたけどさ」
「はい?」
「お客さんが少ないわりにサービス多すぎじゃない? 大丈夫?」
 本当に心配そうに言ってくるものだから、つい笑ってしまった。
 ふふ、と息をもらす月子に迅の視線が刺さる。案ずるような、拗ねたようなそれを向けられると、ますます笑い声が抑えきれない。随分と大人びて見えるが、まだ十九歳の迅の年相応の表情がかわいらしかった。
「大丈夫ですよ。何故か迅くんが来るときはいつも他のお客様がいらっしゃらないですが、少ないときばかりではないですから。かといって、混み混みにもならないですけれど」
「ということは……月子さんにとって、おれってもしかして疫病神?」
「ちがっ! ええっと、その、私は迅くんとゆっくりおしゃべりしながら仕事をするの、好きですよ」
 迅が来店するとき、いつも奇妙なほど他の客はいない。そのことは常々不思議な偶然だと思っていた。ふらりと店にやってくるところはなんだか野良猫みたい、とも。けれど言葉の表現を間違えた。疫病神、と言わせてしまったと慌てて零した言葉に、迅はふっと笑う。
「読んでる甲斐があったかな」
「……?」
 不思議な文脈で放たれた言葉に首を傾げる。時々、迅はそういったことを呟く。さっきも『読み逃した』とかなんとか。ただ、迅は笑みを浮かべるばかりで月子の疑問には応えてくれない。それもいつものことだった。
「さて、どれにしようか……」
 夏限定のドリンクが書かれたメニュー表を見て迅がうなる。先日飲んでくれたグリーンスムージーはまだまだ提供中だが、ほかの夏限定ドリンクはすでに何度か変更している。一度考えはじめると、あれもこれもと楽しくなってしまったのだ。『美味しいって訊いたから飲みたかったのに!』なんて常連客のひとりに言われてしまってからは、ちょっとだけスローペースになっている。
「月子さんのおすすめは?」
 迅はよくそれを訊いてくる。お気に入りが見つからないのかな、と思って少し力不足を感じるが、色々と勧めたい店主としては嬉しい問いだった。
「そうですね……」
 さっとメニューに目を通す。グリーンスムージー、自家製ジンジャーエール、水出しアイスコーヒー、エトセトラエトセトラ。どれも味には自信があるが、なんとなく今の迅に合うとは思わなかった。もっとさっぱりとして、うんと元気のでるようなものがいい。
「……そうだ、迅くん! 裏メニュー、飲んでみませんか?」
「裏メニュー?」
「そうです、裏メニューです。すてきな響きでしょう」
 とは言っても、裏メニューの別名は〝仰木家御用達お飲物〟――言ってしまえば、家用の飲み物だ。自分が楽しむ分の材料しか買っていないので普段は店に出さないが、迅にならばいいだろうと思う。
 月子にとって、迅はとくべつな――はじめての自分のお客様なのだ。
 六つ年下の青年は、よくよく月子に懐いてくれている、と思うし、月子も弟のように可愛がっているつもりである。それにちょうど、迅くんがいるときは他のお客様はいらっしゃらないし……と心のなかで理由を並べつつ、迅の返事を待つ。
「裏メニューってどんなの?」
「仰木月子お任せドリンクです」
「……つまり気まぐれ?」
「そうとも言います。ちゃんとレシピのあるものから選ぶので、味は大丈夫ですよ」
「味は疑ってないよ。……じゃあ、せっかくだしそれで。月子さんも飲む?」
「私もですか?」
「けっこう汗かいてたし、飲まないと倒れるよ」
 ついさっき迅に向けた気遣いを返された。でも、と口ごもった月子を笑顔で制して迅は続ける。
「他にお客さんもいないし。ごちそうするよ」
「サービスしたいのは私なんですが……」
「おれにごちそうされるのがサビース、ってことで」
 その理屈はおかしい。ただ、にへらと笑う顔には敵わない。年下にいいように丸め込まれているなぁ、とは思ったけれど、弟分からのせっかくの好意だ。月子は大人しくサービスされることにした。
「承知しました」
 と、かしこまって恭しく一礼すると、笑みの滲んだ声で、
「よきにはからって」
 なんて返ってくる。冗談が通じる関係はくすぐったくて、いとおしい。
 さて何をつくろうかと考えて、思い浮かんだのは太陽みたいなレッドとオレンジ。元気なビタミンカラーは暑さにやられたときにぴったりだ。
「材料を上から持ってきますから、少しお待ちくださいね」
「お客さんはこないと思うから安心して。何なら手伝おうか?」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。それと迅くん、余計な忠告かもしれませんが女性の私室にたやすく入れるとは思ってはいけません」
「やっぱりダメだったか」
「私は別にいいんですけど、普段から気をつけておかないと、いざというとき好きな子から嫌われちゃいますよ」
 軽口を叩きながら月子は店の奥の扉に引っ込む。

 店内にひとり残された迅は、つめたいお冷やに口をつけて、ふう、と息を吐いた。
「……手強い」
 もしかしたら近界民、というかいっそA級隊員以上かも。いや、最終的には斬って斬られるだけの戦いの方が楽なのは当たり前だけれど。それにしたって、ボーダーの人間の食えなさとは違う手強さを感じる。扉の向こうの月子のことを考えて、目に映るものを見つめる。
「…………ダメか。ほんとに見えないひとだなぁ」
 迅が『読みにくい』と思う相手はめずらしい。
 そう思う理由のひとつは、月子が規則正しく暮らしているせいだろう。たいていの未来で彼女はいつも同じようにこのカフェを営んでいる。変化が少なく、そのせいでいったいいつの出来事なのか判別しきれない。そしてそれ以外の未来となると途端に曖昧にぼやけてしまう。彼女にとってここでの日々以外のことは何もかも不確定なのだろう。
 あるいは、無意識に見たくないと思って力――サイドエフェクトと呼ばれる未知の力を、セーブしてしまっているのかもしれない。サイドエフェクトと脳の働きは直結するからこそ思い込みや無意識の鎖が強力になりやすいというのは、ボーダー所属の研究員も言っていたことだった。
 その可能性のことも考えて、そこまで自分に影響を与えるひとに苦笑を落とした。当人にはまったくそんなつもりはないのだから、質が悪いと思う。

「お待たせしました。……他にお客様はいらっしゃらなかったですか?」
 二階の居住スペースのキッチンから持ってきた材料を手に、月子は店内に戻る。先程と変わらず特等席に座って水を飲む迅が「誰も来なかったよ」と答えた。
 よかった、と息をつき、カウンターの内側のキッチンに材料を並べる。迅は興味津々らしく、そんなところもまた猫のようだな、と月子は思う。
「それ、なに?」
「乾燥させたハイビスカスとローズヒップです。知っていますか? ローズヒップ」
「……バラのおしり?」
「迅くんのそういうところ、嫌いじゃないですよ」
 ふっと吹き出しながら告げると、ちょっと拗ねたように突き出たくちびるとほんのり赤らんだ目尻が見えた。本当に、普段は大人びて対等に話してくるのに、こういうふとした瞬間の仕草が幼くて――弟みたいでかわいいと思う。
「ローズヒップはバラの果実です。ヒップ、がそもそもバラの果実という意味の単語らしいので、訳すとバラのバラの果実、ですね。たぶん、迅くんと同じことを思った人がいたのでそうしたんでしょう」
「……まぎらわしい」
「私もそう思います。酸っぱいものは苦手ですか?」
「あんまりそう思ったことはないけど……酸っぱいんだ?」
「ローズヒップはどちらかといえば甘いですよ。酸味も多少ありますが、味はあんずに似てます。酸っぱいのはこっちのハイビスカス。苦手だったら少なめにブレンドしようと思って……でも平気そうですね。シロップも入れるので大丈夫だと思います」
「いわゆるハーブティーってやつ?」
「ええ、そうです。今回はこれをオレンジジュースで割って飲みたいと思います。さっぱりしてて、おいしいですよ」
 迅に説明しながらも、ケトルでお湯を沸かし、ポットサービス用のガラスの小さなティーポットの中に、ハイビスカスとローズヒップをひとすくいずつ入れる。
 大きめのグラスを二つ、冷凍庫で冷やして、冷蔵庫から小分け紙パックの100%オレンジジュースを取り出しておく。お湯が沸いたら、ティーポットの半分くらいまで注いで、蓋を閉め、持ち上げて円を描くようにやさしくゆらす。
 ふわりとハイビスカスの花弁が舞って、あざやかな深紅色がにじみだす。ころころとしたローズヒップからは旨味と栄養がじわりと染み出てくるはずだ。タイマーを五分にセットして、ティーポットには保温用のカバーをかけておく。
「コーヒーが売りのわりに、色々あるよね」
「祖父……先代がそういうのが好きな人だったので。でも、珈琲を売りにしたのも祖父で、それはちょっとかわいいエピソードがあるんですよ」
「どんなの?」
 タイマーをちらりと見て残り時間を確認する。ちょうどいいだろう。
 月子はオレンジジュースのつめを開き、ハサミで端を切り落としながら口を開く。何から話せば迅にうまく伝わるだろうか。
「……そもそも、祖父にカフェを開くように働きかけたのは、祖母らしいんです。あ、祖母は、私が産まれる前に亡くなっているのですが。オープンしたばかりの頃、祖父は前の仕事で忙しく、祖母が中心に切り盛りしていた、と訊いています」
「……それで?」
「うちのメニューのレシピはほとんど祖父が書いたものなんですけれど、実際には祖母が一緒につくったものも含まれていて、料理の腕前は祖父以上だったみたいです。あと、とってもおいしそうにものを食べるひとだったとか」
 幼い頃、祖父が月子に語って聞かせた祖母の姿。月子自身はその人と一度も対面していないにも関わらず、その人のことを鮮明に思い描くことができる。それだけ祖父の中にある祖母の思い出は膨大で、深く、幼い月子の心にぽっと花開くような思い出だった。
 月子の瞳は蒼みがかっており、肌も髪も色素が薄めだが、どうやらそれは祖母の血を引いているかららしい。それも会ったことのない祖母に親近感を覚える理由のひとつだろう。
 話を続けながらも冷凍庫からグラスを出して、縁近くまでいっぱいに氷を詰める。そこにオレンジジュースを注ぎ、三分の二程度までを黄色みの強いオレンジに染める。
「でも、そんな祖母にもひとつだけ苦手なものがあって。それが珈琲だった、という」
「…………やっぱりコーヒーが売りになるのおかしくない?」
 神妙な顔つきと合いの手の声は、月子の言葉を引き出すためだろう。聞き上手なのだ。
「ところがその話には続き……というか、前提があって。祖母が唯一飲める珈琲こそが、祖父の淹れた珈琲だったんです。むしろ……『私が飲める珈琲を淹れられるのだから、その道を極めるべき』みたいな、そういう話でカフェを開業したようですし」
「なるほど……」
「祖父曰く『珈琲嫌いが唯一飲める珈琲は、それこそ〝ユーリカ〟だろう』と」
「ユーリカ、だろう?」
 ぱちり、と瞬いた瞳に笑みを返す。幼い頃、店名の由来を訊いたときの気持ちを思い出して、それを語るのは次の機会にとっておこうと思った。楽しいことはささやかでもたくさんあるほうが嬉しい。それに、タイマーの残り時間も少なくなっている。
「そのお話しはまた別のエピソードなので次のお楽しみに。
 とりあえず、このお店の売りが珈琲なのは、つまるところ、祖父と祖母、それぞれの惚気みたいなものなのです。祖父は、これこそ唯一祖母に飲んでもらえる珈琲だぞ、と。祖母にとっては、祖父はこんなにすごい珈琲を淹れられるんですよ、という」
「たしかに……それはかわいいな」
「そうでしょう」
 やさしく笑った迅につられるようにして、月子も笑みをこぼす。タイマーを残り五秒のところで止めて、保温用のカバーを外した。
「おお……!」
 現れた深紅の液体に迅が感嘆の声をあげた。目にも鮮やかなそれにハッと目を奪われるのはよくわかる。
 オレンジジュースを注いでおいたグラスにアプリコットのシロップを少し入れて、茶こしを片手にゆっくりとローズヒップ&ハイビスカスティーを注ぎ入れる。
 比重の大きいシロップが間に入ることで、下の方にオレンジジュース、上の方にはティーと、オレンジと深紅が二層に分かれ、見た目にも美しく仕上がるのだ。ティーの熱で溶けたぶんの氷をそっと追加して、コルク素材のコースターと一緒に迅の前に置いた。
「お待たせしました〝ローズヒップ&オレンジ〟です」
 迅にストローを渡し、自分のグラスにもローズヒップ&ハイビスカスティーを注ぐ。迅はそれをじっと待っていた。
「先に飲んでも大丈夫ですよ」
「乾杯しようと思って」
 くすり、とかわいい物言いに笑う。「何に?」と氷を追加しながら訊ねた。思わず敬語が崩れたが、迅に気にした様子はない。
「じゃあ……月子さんに」
「なんですか、それ。では私は迅くんに」
 お互いにグラスをもって、カウンターごしに乾杯する。こん、という控えめな音がちいさく響いた。
「ストローでよく混ぜてから飲んで下さいね」
 せっかく美しく二層に分かれているのにもったいない、と迅が思っている間に月子はぐるぐるかき混ぜている。そういうひとだよな、と迅は思って笑いそうになるも、流石に失礼だと思って押しとどめる。代わりに、月子に倣ってストローでかき混ぜた。混ぜると赤みのつよいオレンジになって、これはこれで綺麗だ。
 ストローに口づけ、くっと吸い上げれば、オレンジとハイビスカスのキュッとする酸味と、それを和らげるシロップとローズヒップの甘みが訪れる。ひんやりと冷たく、からだの内側から薔薇の香りが広がって華やかだ。
「うまい……!」
「よかった! 夏のお気に入りなんです」
「店では出さないの?」
「いつかの夏に、できたら」
 今年は出さないかな、と考える。ビタミンCが摂れるから女性に人気が出そうだが、ハイビスカスは放置するとすぐに酸味が強く出てしまう。一人で切り盛りしている以上、店が混んでいるときに安定して供給できる自信はまだなかった。家用のレシピは、手間がかかるものも多い。
「そっか……それは残念」
「でも、裏メニューですから。ばれてしまっては仕方ありません。二人のときはおつくりしますよ」
「ばれてしまっては、って、月子さんがばらしてきたくせに」
「それもそうですね。他の人には秘密ですよ」
 ローズヒップ&オレンジを気に入ってくれたらしい迅の『残念』という言葉が嬉しくて、次の約束をする。
 迅が来るときは何故かいつも空いているから、きっとできるだろう。ボーダーに所属する他の常連さんに教えないようにだけ、口止めをする。
「実力派エリート迅悠一、了解しました」
 とてもうれしそうに言われたので、月子はよかったと笑みを深める。からん、と溶け出した氷が涼やかな音を立てた。

「……ところで、『実力派エリート』って何ですか?」
「おれのこと」
 得意気な顔の迅はなかなかに年相応に見えてかわいい。きらん、と瞳が輝いたように見えた。グラスはすっかり空になったが、迅はもう少し留まってくれるようだ。
 ――迅の来店中は他のお客さんが来ない、というジンクスがあるが、月子としてもふらりとやってくる迅と話をするのは好きなのでうれしい。
(……迅くんのジンクス……いやなんでもない、けど!)
 ふふっ、と漏れでた笑い声に迅が首を傾げる。
「さては信じてない?」
 笑い声を『実力派エリート』に対してのものととったのか、告げられた言葉にいよいよ耐えきれなくなって、くすくすと笑ってしまう。
「ひどいなぁ、月子さん」
「ごめんね、迅くん」
 またサービスするから。続けた言葉に「……まあ、それならいいけど」と機嫌を直すさまがまた子どもっぽくて、しばらく月子の笑いは止まらなかった。


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