銀と灰

 絹糸を集めたような銀色の髪がしゃらしゃらと揺れる。わたしはその毛先をなんとはなしに目で追いながら、ぽたぽたと琥珀色の雫を落とす自分の髪をつまんだ。ブランデーに濡れてもたいした艶は出ず、正しく灰のように煤けている。以前、髪の手入れについて聞いたら、そのへんにある石鹸で適当に洗っているだけだと返されたことを思い出す。半信半疑で試してひどいことになった。
「にしてもヴィオレッタ、おまえ今度はどんな失言をしやがった」
 銀の髪がなびき、夜を切り裂く三日月のように艶めく。スクアーロはカツコツと早足で歩きながら、視線と言葉だけを投げて寄越した。眉を寄せたのは廊下にぽつぽつと垂れた雫のせいだろうか。申し訳なくなり、毛先から滴る雫をシャツに吸わせる。まあ、わたしをブランデーまみれにしたのはここの主人なのだけれど。挨拶するなりブランデーを被り、部屋の外へ叩き出されたわたしを自分のシャワールームまで案内してくれるスクアーロには頭が上がらない。
「なにも言ってないよ……挨拶をしただけ」
「どんな」
こんばんはボナセーラ
「ゔぉおい、まともじゃねえか。たまたま虫の居所が悪かったか……おまえがそれ以外の失態をしたかだな」
「覚えはないのだけど……」
「消されるほどのことじゃねえなら考えるだけ無駄だろうぜ。まァ、もしもンな失態してたらボスより先にオレが斬るがなぁ」
 唸るように告げるスクアーロに「ザンザスの炎のほうがいいなぁ」と返せば「贅沢いうな。オレでも過剰なくらいだぞ」と叱られた。たしかに。ヴァリアーに入隊できるほどの実力者なら誰だってわたしを殺せるだろう。
「……スクアーロくらい強ければよかったな」
「なンだよ、急に」
「そうしたらザンザスが直々に始末をつけてくれそうだから」
 青みがかった銀の瞳は物言いたげに細まったものの、薄い唇が言葉を紡ぐことはない。角を曲がったところで隊員の一人とすれ違い、彼は敬礼したあとわたしを訝しげに見た。
 しばらく歩いてから「強くなりてえのか」と静かな声が問う。
「……ううん」
 答えながら、スクアーロの背中を見つめる。彼はよく頰に切り傷をつくっているが、美しい銀の髪に覆われた背には傷一つないだろう。
 スクアーロは、ヴァリアーでザンザスに次いで戦闘力が高い……と口にしたら他が機嫌を損ねるので言わないけれど。それでも敵から逃げる必要のない、彼の隣に立てる強さを持っているのは確かだ。
『あいつは生きている』
 かつてわたしにそう告げたのは十四歳の少年だった。彼と出会ってから一年も経っていないような少年はわたしよりも彼を信じていて――蚊帳の外に置かれたわたしよりもよっぽど多くの彼を知っていた。それがうらやましくなかったと言えば嘘になる、けれど。
「今から鍛えたって、スクアーロほど強くはなれないもの。だったら弱さをうまく使うほうが役に立てる。折良く、わたしは女に生まれたからね」
「……てめえはそれでいいのか、ヴィオレッタ」
「心配されるほど珍しいことをしているつもりはないよ」
「任務ならやらせるし、やるぜ。だがてめえはヴァリアーの、ましてボンゴレの構成員でもねえ野良だろうが」
「わたしがそうしたいからしている」
「ハッ、そうかよ」
 わたしの弱さは、ヴァリアーの隊員たちがどうしたって身につけられないものだ。柔い肢体も非力な細腕も戦いに身を置く彼らには許されず、だからこそ油断を誘うことが叶う。強靭な彼らでは得られない情報をそうして集めてきた――今夜も、そうやって。
「……うお゙ぉい、待て、それじゃねえか?」
 ぴたりと立ち止まったスクアーロが体ごと振り返り、厳しい顔つきでわたしを見下ろす。
 なにが? と首をかしげると、スクアーロは腰を折ってわたしに顔を近づけた。スンと鼻を鳴らし、ますます顔を顰める。
「あいつの香水じゃねえな」
 ぱちりとまばたきを落とせば、スクアーロは深々とため息を吐く。くだんねえことに巻き込みやがって、とその唇が小さく動いた。苛立ちが混じる手つきで近くの扉を開け、入れ、と視線で促す。どうやらここがスクアーロの私室だったらしい。そのままシャワールームへ押しこめられ「十五分やるから隅々まで洗え」と威丈高に告げられる。
「……スクアーロ、まさか、そんな理由だと思うの?」
 ようやく彼が言わんとすることを理解し、扉越しに話しかける。スクアーロが扉にもたれたのか、きしりとかすかな振動が伝わる。
「あいつの考えてることなんざわかるか。気に障りそうなモンは全部消しちまった方が確実だろうが」
「……たしかに」
 何がザンザスを刺激したのかわからない以上は大人しくスクアーロの言葉に従ったほうがいい。ただし目標時間は十分だ。匂いを消すよりも彼へ情報を届けることのほうが本当なら優先度は高いのだから。
 雨のように降りそそぐ冷水が体温と汚れをさらっていく。シャワールームにはやっぱり石鹸しかなく、髪はいつにもまして見窄らしく灰を被ることになるだろう。整えた化粧も髪も、すこし気を抜けばたやすく剥がれる。せめてスクアーロの銀の髪のような、天性の美しさがあれば……これも、ないものねだりだ。
 わたしには彼の目に止まるような強さも美しさも才能もないけれど、できることはある。
 ――わたしがそうしたいからしている。
 その言葉にひとつだって嘘はない。たとえ彼の機嫌を損ねることになろうとも、わたしはこの弱く柔いからだを使うことをやめない。彼がその怒りをもって炎をおこし、スクアーロがその左手を捧げて剣を極めるのなら――何も持たないわたしはこの身のすべてで彼に傅くと決めていた。


close
横書き 縦書き