ばら色の灰

 花の香りは噎せ返るようだった。蘭の手入れをしていた男性が顔をあげて「なにかお探しですか」と出迎える。
 その後ろにはショウケースがあり、ガーベラやカーネーション、シクラメンにダリアなどが寵を争うように並んでいた。そのなかに目当てのものを見つけ、にっこりと笑う。
「赤いばらを一輪、くださいな。林檎みたいに赤くって、炎のように情熱的な、いちばんきれいに咲いてるものがいいの」
 男性はすこし驚いたようにまばたきを繰り返す。しかし、すぐに気を取り直し「お任せください、お嬢さん」と微笑んだ。

 花仕事で荒れた指先が選んだうつくしい一輪は、今、彼の手のなかで灰へと還る。
 常盤の針葉樹に囲われた古城、その最奥に設えられた一室。毛足の長いラグに艶めくマホガニーの家具が揃い、ベルベットのソファーはどこまでも沈みそうなほどやわらか。十月十日の夜、居心地よく整えられた彼の部屋でのことだった。
『二十五歳の誕生日おめでとう、ザンザス』
 そんな言葉とともに差し出した赤いばらは、ザンザスの掌からうまれた炎に焼き尽くされていく。ゆらめく炎は煌々と明るく、焦げつきそうなほどに熱い。
 花の骸が灰皿へぽとりと落ちた。今が盛りと咲き誇ったうつくしさはすべて損なわれ、その命を終えている。ばらのほかに燃えたものがないことを確認してから、ゆっくりと口を開いた。
「誕生日を祝われるの、そんなに嫌?」
 炎のような赤い瞳が、ぎろりとわたしを睨めつけた。彼の手にはまだ炎の残滓があり、次はおまえだと告げるようだ。彼がこういう態度だから、スクアーロたちはそれとなく祝うことに苦心したらしい。そこに赤いばらを持ってきたわたしを見て、ルッスーリアが『本気?』と眉を寄せたのは先ほどのこと。わたしが五体満足にこの部屋を出た暁には、お祝いにアップルケーキを焼いてくれるそうだ。
「……誰がいつ産まれようが、どうでもいいことだろうが」
 彼は吐き捨てるように呟く。ゆらゆらと揺れる炎に手を伸ばすと、視線が鋭く尖った。ついにふれようとした寸前、指先は羽虫のように払われてしまう。彼は革張りのチェアに背を預け、長い脚を気怠げに組んだ。
「それなら、明日も赤いばらを贈るね」
「……何のつもりだ」
「お祝いでなければいいんでしょう?」
 ザンザスが苛立たしげに顔を歪める。スクアーロに言わせればこれは『今からこいつをかっ消す』という顔らしいのだけれど、今のところわたしが彼の炎に燃やされたことはない。
 二度目のクーデターから一年が経ったものの、ザンザスとヴァリアーの足場はいまだ脆いままだ。わたしという便利な小間使いを失うとすこし面倒で、その『すこし』によってわたしの命は守られている。だから、いずれ失われることが決まっている保証だった。けれどわたしはわたしの死よりも、彼の役に立てないことのほうがよっぽどこわい。
「花なんざ何になる」
「口で言えないことは花で言う、そういうものだよ。……でも、あなたに花がいらないのもそうだと思うから」
 言いながら、執務机に封筒を置く。赤い瞳が細められた。
「あなたがほんとうによろこんでくれるものも、持ってきたよ」
 ザンザスは封筒を開き、中の書類を広げた。そこにはとある男の消息が書かれている。ボンゴレではご禁制となっている薬物に手を出し、都市の人間を堕落させ争いの火種をつくった男と、それを手引きした敵対組織について。裏切り者の処分は九代目が直々にヴァリアーへ命じたと聞いている。よその組織が絡む難しい任務だが、失敗は許されない。
「……確かだろうな」
「三日以内であれば保証する。それより後は、さすがに状況が変わると思う」
 ボンゴレが誇る精鋭部隊には三日あれば十分だろう。ザンザスは書類を手放し、ふんと鼻を鳴らした。調査内容は及第点だったらしい。
「ザンザス、もうすこしここにいてもいい?」
「用が済んでんなら失せろ」
「報酬の代わりだと思ってよ。それ調べるの、けっこうたいへんで。世界でいちばん安全なところで、なにも気にせず眠りたいの」
 返事を待たずソファーへ沈みこむ。ザンザスは何も言わない。それは許容ではなく会話も煩わしいという意思表示だけれど、気にせず瞼を閉じた。このソファーは彼のお気に入りなので、なるべく煤で汚したくはないだろう。
 ようやく休息が訪れ、睡魔が顔を出す。ザンザスはその横柄な態度とは裏腹に、所作は流れるように美しく静かだ。時おり、チェアの軋む音やぱらりと書類をめくる音が響くも、それは眠りを損なうほどではない。いくらでも眠れてしまいそうだけれど、ザンザスが寝室に下がるときにはスクアーロやベルフェゴールあたりが起こしてくれるだろう。たしょう暴力的な目覚ましになるのは、このさい仕方ない。
 九年ぶりに祝う彼の誕生日に、八年も眠っていた彼のとなりで、ほんのひととき眠る。不思議な日だなと思いながら、ゆっくりととけるように意識を手放していく。

 ――あのね、ザンザス。誰がいつ産まれようがどうでもいいんだよ。ただ、あなたが今日を生きていることが、うれしかったから。あなたが生きていた昨日が愛しくて、あなたが生きていく明日のために、生きていたいから。
 それだけの、ことだから。

 瞼の裏のくらやみに、ちらちらと炎が瞬いている。赤いばらを灰へと還した彼の炎が、目に灼きついて離れない。いいなぁ、と、夢のなかでささやいた。


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