花が枯れたら実るように

 みょうじなまえを一言で評するならお人好しと言うほかないだろう。影浦雅人は時々そんなことを考えてみる。幼稚園からの腐れ縁で、侵攻を機に居を移してもなお近所に住まう同い年の少女。
 彼女はいつも、あたたかな指先でそっと頬を撫でるような感情を影浦に向ける。荒れ果てていた中学生の頃さえそうだったから、一定の距離は保ててもその優しさのすべてを無碍にすることはできなかった。――いや、あの時の自分は、彼女を傷つけないために距離を置くことを選んだのだろう。家族くらいしか向けてこないような、いっそ家族よりも丁寧に、壊れ物にふれるかのような感情に噛みつくことは、なけなしの良心が咎めたから。
 なまえはどんなときもにこにこ阿呆みたいに笑っている、どこにでもいるような凡庸な人間であり、影浦という厄介者の幼馴染みにてらいなく親愛の情を示す稀有な存在だった。
 いずれは付き合いも薄れていくとは感じつつも、なまえが影浦の幼馴染みであることは変わらない。友人と呼ぶには収まりが悪く、家族とするには少し足りない、幼馴染みという特別な席に座る少女。自分と彼女はずっとそうなのだと――根拠なんてひとつもなくとも、影浦はそう信じている。

「あ、カゲくん! 今日っておばさまはお家にいらっしゃる?」
「あぁ?」
 なまえが校内で話しかけてくるのは珍しい。それも影浦がボーダーのチームメイトと話しているときに、割って入るように。つい凄むような声が漏れたが、なまえは隣にいた北添と仁礼にぺこりと会釈しつつ「どうかな?」と影浦へ問いを重ねる。
 廊下の奥では彼女の友人らしき女子生徒が遠巻きにこちらを見ていて、抱えた荷物を見るに次は体育の授業らしい。授業の合間の休み時間が終わるまでもう数分に迫り、女子生徒はちくちくと焦ったような感情を向けてくる。
「いるんじゃねえの」
 後頭部をがしがしと掻きながら答えた。自分の眉間に皺が寄っていることも、それに周囲が少し怯えていることもわかったが、態度を改める気はない。ただでさえ人目の多い廊下は好きではないのに、ちょうど仁礼に捕まって辟易としていたところだ。
「そっか。ありがとう、おすそ分けをしにいきたくて」
 とはいえ、この幼馴染みは影浦がどれだけぶっきらぼうに返しても、本当に怒っているとき以外はちっともひるみはしない。むしろ影浦が怒っていたとしても、怯えるのではなく心配してくるようなお人好しだった。
「何の」
「りんご。お母さんの友達からダンボールいっぱいで届いたんだ」
「取りに行く。帰り」
「えっ……いいの?」
「重てーだろ。……さっさと行け、ダチが待ってんぞ」
 しっしっ、と追い払うように手を払うと、なまえはかすかに微笑み――あの、指先でふれるような感情で影浦を撫でた。
「ありがとう。お話の邪魔してごめんね」
 そう言い残して友達のところへ、さらに更衣室へ早足で駆けていく背中を眺めつつ、そういえばまだ横に北添(だけならよかったのに)と仁礼がいたな、と舌打ちを零す。
「カゲ、あの先輩と仲いいよなー」
 仁礼の声にはからかうような響きが混ざっていたが、向けられた感情には大して含みがない。北添は柔和な笑みを浮かべたまま影浦を見下ろし、生ぬるいそれらにぞわぞわと背筋が粟立ったものの、噛みつくほどのことではなかった。
「昔から知ってる幼馴染みってだけだ」
「それ抜きにしても、って話じゃない?」
「そうそう、仲のよさに幼馴染みって関係なくね? カゲみたいなやつは特に」
「うるせーよ放っとけ。つうかおまえはとっとと教室戻れ」
「言われなくてもわかってるっての!」
 べっと舌を出した仁礼が駆け出し、数メートル離れたところでキュッと上履きを鳴らしながら振り向く。
「あっ、カゲは来んの遅くなるってことっていーんだな!?」
 廊下いっぱいに響くような大声はやめろ。どこで誰が聞いてるかわかったもんじゃねえんだよ――と思っていれば、案の定、教室から当真と国近が顔を出している。そういえばこの二人は廊下側の窓際の席だった。ボーダーのシフトがある日も授業を邪魔せず出入りできるように、だとか教師を言い包めたと本人から聞いたのは最近のことだ。
「幼馴染みとの放課後デートなぁ……」
「青春だねぇ」
「どいつもこいつもうっせえんだよ! 授業の準備でもしてろや万年赤点ども」
「まあまあ。今日はシフトもないしゆっくりしてきたらいいよ。みょうじさんも勉強ばっかりで疲れてるだろうし、リフレッシュに付き合ってあげたら?」
 ふん、とそっぽを向いてはみたけれど、北添の言うようにここ最近の幼馴染みは受験勉強に忙しい。悩み事もあるようで、にこにことした笑みが途切れることもあった。この時期になってもまだ志望校を定められていないのだという。


 教室へ戻りながらも影浦の心は決まっていた。リフレッシュが必要、そんなこと他人に言われなくても影浦がいちばんわかっている。家業やボーダーという受け皿を持つ影浦ではなまえの心情を理解することは難しいが――それは忌々しいサイドエフェクトがなければ、の話だ。
 昔のなまえは、嫌なことがあっても、悲しくても、さみしくても、笑うことしかできない子どもだった。嫌も悲しいもさみしいも言えなかった彼女から、影浦だけがそれらを汲み取ることができた。誰も気付かないなまえの言葉を、自分は聞き取ることができる。いちばんに駆けつけてやれる。それは少年にとってささやかな誇りだったのだ。肌を刺す悪意に荒んだ思春期も、なまえが向ける撫でるような感情だけは無碍にできなかった。それにふれてきたからこそ、影浦は他人といる心地よさを忘れずに済んだのだろう。
 そうは、思うけれど。それが――ふたりを繋いできたものが『感情受信体質』などという昨日まで存在も知らなかった『トリオン』の副作用だと知ったときの、腹の底を掻き混ぜられたような苛立ちを少しだけ思い出した。

 好きです。
 そう言ったのは、名前も知らない下級生だった。昼休みも早々に「結果はわかってんだけどさ」としぶい顔の仁礼に呼び出され、顔を合わせた途端にぶつけられた感情と、遅れて紡がれた言葉。
 眉間に寄った皺のせいか、女子生徒がびくりと震えるのを何とはなしに眺めながら、影浦は「……悪ィが」と口を開いた。何らかの理由で橋渡しをする羽目になったらしい仁礼が「まあしゃあないよな」とため息をついて慰めにかかるのを横目に、我ながら逃げるようにと呼ぶのが相応しい有様でその場から離れた。
 弁当箱に詰められた唐揚げを頬張りながら、影浦が思い描いたのは下級生の涙ではなかった。頬をひっぱたくように刺さった感情。その手触り。それは強さこそ違えど。
 どこか、幼馴染みのそれに、似てはいなかったか。
 ああ、畜生。
 こいつは本当に――どこまでくそったれなのか。
「どしたの、カゲ」
 北添が不思議そうに首を傾ける。その箸先には唐揚げがあり、どうやら気付かないうちにとられていたらしい。気付かない、なんてこと影浦にはおおよそありえないのに。
「何でもねーよ」
 なまえの感情がかすかに頬を撫でていくことは、影浦にとってあまりに当たり前のことだった。それこそ家族が己に向けてくる感情のような、よっぽどのことがない限り変わることのない情、信じ切って身を委ねることができたぬるま湯のようなもの。この鬱陶しいサイドエフェクトが消える日のことは夢想しても、彼女から向けられる感情がなくなる日のことは考えたこともなかった。だってなまえは、幼馴染みだったから。ずっとずっと昔から、そうだったから。
 恋などという、いつか思い出になってしまうような儚い感情を向けられているだなんて――考えもしなかったのだ。



 風に乱れた前髪が視界に被って鬱陶しい。とん、と頬に当たる感情は、その名を理解するとむず痒かった。約束をした午前中の自分のことも、よりにもよって今日の昼休みに影浦に気付かせたあの下級生のことも、憎い。
 裏門へと預けていた背を離した。じわりと西の空に赤が滲むような秋の夕方、少しずつ色づきはじめた木々の向こうから見慣れたシルエットが駆けてくる。
「カゲくん! おまたせ!」
 数メートル手前で速度を緩めたなまえが上気した頬もそのままに笑いかける。それはいつも通りの笑みだった。受け取る側である影浦の認識が変わっただけなのだから当たり前だ。じろじろと見つめていたせいか、なまえはこてりと首をかしげる。
「待ってねーよ」
 ぶっきらぼう返しながら、そろりと目を逸らした。
「ごめんね、ボーダーに行ってから家に寄るって意味だと思ってたから……」
 そうしておけばよかった、と思って。頭には一緒に帰るという選択肢しかなかったのだと突きつけられる。
「……なんか用事でもあったか」
「ううん、大丈夫。掃除当番で、終わるまでスマホ見てなくて。寒くなかった?」
「んなヤワじゃねえよ」
 秋風に晒された頬は冷たいが、凍えるほどではない。背の高さも肩の厚みも上回る男に何を心配してんだと思いながらも、なまえがそういう人間であることは影浦がいちばん知っている。
「帰んぞ」声をかけて歩き出すと、なまえはにこにこと笑ってあとをついてくる。何にも知らないで――知られてないと思って、にこにこにこにこ、阿呆みたいに。
 後ろめたさを感じるのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。
 他人が自分に向ける感情を知っても苛立つことばかりだったのに、彼女が自分に恋をしていると知ったことは、妙に居心地が悪い。なまえの秘密を一方的に暴いてしまったからだろうか。胸の澱を誤魔化すようにゆっくりと呼吸する。
「もうすっかり秋だね」
 隣に並んだなまえが、すん、と鼻を鳴らした。マスクをしていても香る金木犀にふにゃりと頬を緩め「りんごもいいけど、ぶどうも好きだな。シャインマスカット」なんてうれしそうに呟く。影浦は「そーかよ」とだけ返した。彼女は秋になると毎年おなじようなことを言う。
 歩いているうちにあたりはだんだんと暗くなり、けれどなまえがひとつ言葉を零すたびぱっと輝くものがある。踊るように跳ねるように、ふれては離れ、また撫でていくような感覚。好きですと告げた下級生が向けてきたそれとは、同じなのに違う。ふれ方も、熱も、やさしくて儚い。あまりにささやかなそれはどこかくすぐったく、いとけなく、鬱陶しいと振り払う気にはなれない。
 だからといって、じゃあ、どうすればいいのだろう。否定しないことは、肯定することにはならない。なまえがあの下級生と同じように『好きです』と告げたなら――いったい自分はどう答えるのか。
 おまえ、俺のことが好きなのか?
 例えば、そう訊いてみたとして。実はそうなんだ、とか返されたとして。けれど、それで何が変わるのかわからなかった。いや、それは嘘だ。影浦だって女子と付き合ったことはあるのだから、変わるものがあることはわかっている。ただ――何も変えたくない、というだけのことだ。
「カゲくん、聞いてる?」
「聞いてねえ」
「正直!」
「……わりーな」
「……どうしたの? カゲくんがほんとに聞いてないのはめずらしいね」
「何でもねえよ。んで、何の話だ?」
 ちろりとなまえを見る。釈然としない表情をしていたものの、次の瞬間には微笑みを浮かべて「りんごってどう消費するのがいいかなって話。もう食べ飽きちゃって」と続けた。
「アップルパイか……ジャムとかかな? あとは何だろう」
「カレー」
「じゃあお好み焼きとかも」
「それはねえだろ」
「ないか」
 阿呆か。妙に力が抜けていく。色々と考えていた影浦の方がばかみたいだ。
 いつのまにかなまえの家の前まで辿り着いていた。リフレッシュに寄り道でもなんて考えていたことを思い出したのは、なまえが「ちょっと待っててね」と門をくぐってからだ。あー、と頭を掻きながら「いい」と返して玄関までついていく。青森から送られてきたというりんごはまだダンボールに入ったまま置かれており、なまえは「袋! とってくる!」とぱたぱた走っていく。
 つい昔からの癖で入りこんだが、幼馴染みの新しい家は見慣れなかった。以前は夕飯を一緒に食べることも多く、もう一つの実家のようになっていたけれど――そういえば引っ越してからはお互いの部屋に入ったこともない。
 ダンボールを開くとりんごの甘酸っぱい香りが広がる。つやつやと赤く、どこぞのブランド品なのか金色のシールがぴかりと輝いていた。ひとつ持ち上げてみれば、ずしりと重たい。ざっと見ても十玉以上はあった。
「カゲくん、いくつくらい持ってく?」
 なまえの手には不織布の小さなエコバッグがあった。袋を受け取り、入るだけ詰めていく。助かります、となまえが呟いた。何でもこの下にもう一段あり、実は上にもあったらしい。膨れ上がったバッグは見た目通りに重い。
「おまえ、このあと用事は?」
「特にはない、けど……」
「なんかつくってやるから来い」
「えっ!」
 ぱっと表情が華やぎ、影浦の頬をよろこびが包む。なんで、どうして? と刺さる感情に「気が向いただけだ」と返した。

 お好み焼きの要領でホットケーキを裏返す。おやつには遅く、夕飯には早いが、なまえは「大丈夫!」と胸を張った。もともと今日は母親の帰りが遅いから、自分で適当に済ませる予定だったらしい。それならお好み焼きのほうがいいのではと思ったが、彼女はキャラメルりんごのホットケーキがいい、と主張した。
 小鍋でりんごを砂糖に煮詰めながら「今日は塾がなくてよかった」と本当にうれしそうに囁く。いつもの、指先でふれるような感情が頬を撫でていく。居心地の悪い心とは裏腹に、慣れた感覚にほっと安堵が落ちた。
 きつね色に焼きあがったホットケーキを皿に乗せれば、なまえが小鍋からまだ熱いりんごのキャラメル煮を盛りつけていく。台所には甘い香りがふんわりと広がって、香りだけで胸焼けしそうだ。彼女のリクエストでなければつくらなかっただろう。
「カゲくん、やっぱりホットケーキつくるの上手だね」
 にっこりと笑うなまえに「誰のせいだと思ってんだ」と返す。お好み焼きで慣れているのもあるけれど、半分は下手くそな彼女の代わりに焼いてやったせいである。同級生やチームメイトにはあまり知られたくない特技だった。
「いただきます」
 影浦家の食卓をふたりで囲めば、なまえがにこにこと笑いながらナイフとフォークをとった。丁寧にバターを広げ、ひとくちサイズに切り分けてから、りんごのキャラメル煮を添えて口へ運ぶ。ちょこまかとした動きを横目に見つつ、影浦はバターだけのせたホットケーキを大雑把に切って食べた。数回だけ噛んでごくりと飲み込む。ふんわりと焼きあがってはいるが、男子高校生の胃袋を満たすには力不足だ。
「……志望校は決まったのかよ」
 かちゃりとナイフが皿に当たる。なまえは影浦をじっと見て、頬を綻ばせた。
「もしかして、心配してくれたの?」
 からかうような言葉と表情のわりに、刺さる感情は気弱だ。
「三つまでは絞ったよ……あとはどれに受かるかかな」
「ふーん」
「滑り止めは隣町の……家からでも通えるかなって距離のところ。あと大阪の大学、これもたぶん大丈夫。もうひとつは北海道で、今の学力だとちょっと厳しいかも? って感じで……」
「一番行きてえところはどこだよ」
「……北海道」
 遠いな、と思って。けれどそれを口にするのは憚られた。その言葉がどんな温度で紡がれるのか、自分でもわからなかったから。
「まァメシもうまいしな」
「そ、そういう理由で志望校きめてるわけじゃないからね? カゲくんはわたしのこと食いしん坊と思ってるふしあるけど!」
「ばぁか。わかってんだよ……あとおまえの食い意地が張ってんのはそうだろうが」
「うっ……それは、その……カゲくんのつくるごはんがおいしいからで……」
 もごもごと言いながらもホットケーキを切り分ける手は止まらない。つまりそういうことなのだろうと結論づけて、影浦も食べ進める。あっという間に空になった皿にナイフとフォークを放り出して、麦茶に口をつける。
 なまえが進学を機に三門を出ていくことは、影浦にとって当然のことだった。市内にも大学はあるとはいえ、彼女の学力なら選択肢は広いはずだし、何より残る理由がない。そもそも影浦と同じ高校に通っていることが不思議なくらいだ。
 だけど――それでも、幼馴染みでいられると思っていた。あの指先でそっと撫でるような感情が、二度と向けられなくなる可能性など考えもしなかった。
 影浦のいない日常で生きていく彼女は、いったいいつまでその感情を持ち続けてくれるのだろう。
「……カゲくん? なにか怒ってる?」
「怒ってねえよ」
「でも」
「怒ってねえ。いいからさっさと食え」
 戸惑った感情が頬を滑るも、影浦は沈黙で応えた。胸のうちで渦巻く感情の名がわからなかった。自分に向けられるものなら肌で理解できるのに。


 影浦となまえの家はそう離れていない。ひとりで帰れるよと告げるなまえを無視して靴を履き、三分もかからない道を歩く。会話を取り繕う必要もないほど呆気なくみょうじ家へ辿り着き、しかし彼女は立ち止まったまま動かない。迷うような感情が頬を撫でていく。
「……何だよ」
「元気ないなぁ、って、思って。今日ずっと。朝は元気そうだったから……なにかあったの?」
 気遣わしげに囁かれた言葉に眉を寄せたのは自責からだった。そういう顔をさせないために誘ったはずだ。ささくれだった棘をとかすように深々とため息を吐き「ちょっとな」とだけ返す。
「ボーダーのこと?」
「ちげーよ……おまえが気にするようなことじゃねえ」
「そっか」
 なまえはからりと笑うが、見えない指先は濡れている。淡く、窺うようにふれてくるその手をとって駆け出せたならよかった。彼女の指先が痺れるほどの熱を持っていればよかった。振り返らずにはいられないような、手放し難く感じるような、そういうものであれば。けれど、彼女が自分に向けるそれはひたすらに穏やかでやさしいから。
「……おめーが北海道の大学に受かったらよ」
「う、うん」
「遊びに行くから覚悟しとけよ」
 瞳が丸まる。それから、なまえは吐息を零すように微笑み「うん」と頷いた。
「おいしいお寿司のお店を探しておく」
「受かったら、な」
「だめだったらお好み焼きを焼いてね」
「あァ……そういう約束だしな」
 何気なく付け足した言葉にこそ、なまえはこの上なく嬉しそうに心を弾ませる。どうしてか心臓が締めつけられるように痛んだ。この胸にある痛みは、はたして彼女の指先と同じ温度だろうか。
「頑張る……けど、カゲくんのお好み焼き大好きだから、どっちでもおいしいなぁ」
「じゃあ大学に受かったときはなんか別のモンやるよ」
「えっ、いいよ、悪い……」
「うっせえ。黙って受け取れ……餞別だ――幼馴染みのよしみでな」
 そう告げれば、なまえはやっぱりやさしく影浦の頬にふれた。どこかさみしげで、けれど安堵が混じるような――わずかな心の揺れを感じ取れるのは、それが十年以上も隣にあった熱だからだ。
「それじゃあ、ありがたく……幼馴染みの特権ということで」
「……あぁ」
 きっと彼女は、今日も明日も幼馴染みでいるのだろう。
 影浦が案ずるようなことはなく、何も変わらないまま、いつかその恋とこの指先を手放してしまう。それで、いいのだ。葉が落ちるから木は冬を越えられるし、花が枯れてこそ実は結ばれる。そう信じることしか、ただの幼馴染みにはできなかった。


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