きみとならどこまでも

 寒波の影響は年明けまで続くでしょう。日本海側では大雪に警戒してください……その声に瞼を持ちあげて、自分が眠っていたことに気付いた。隣では幼馴染みが運転を続けている。
「からさわ」
 呂律の回りきらない声で呼べば「起きたかい」と低い声が鼓膜を撫でていく。うん、と頷いて、彼のコートが膝にかかっていることに気付いた。
 フロントガラスの向こうには夜が広がっている。ヘッドライトの眩い光も街灯も、はてしないくらやみのなかではちっぽけな瞬きだった。いつのまに高速道路を下りたのだろうか、ひとつも記憶にない。早起きしたからだは暖房とほどよい揺れに抗えなかったのだろう。
「まだ寝てていいけど、起きるならそこに珈琲がある」
 と、左手がドリンクホルダーを示す。そこに収まっていた缶コーヒーを手に取ると、まだほんのり温かかった。プルタブをあけ、アルミの飲み口にくちづける。迸る苦味は慣れきった味わいで、眠気覚ましには少し足りなかった。カーラジオから流れる天気予報によると、まだ年は明けていないらしい。
「ここ、どこ?」
「どこだと思う?」
「さっぱり見当がつかない……正解は教えてくれないの?」
「着くまではね」
 ちらりとその横顔を見れば、唇は楽しげに弧を描いていた。まあ、唐沢が楽しいならいいか。自分でも意外なほどあっさりと問いを投げ出して、数時間前のことを思い出す。年越しそばも食べ終えた時間に、彼は車のキーをくるりと回して『行こうか』と言った。
『どこへ?』
 と、わたしは彼に訊ねた。大晦日の夜に、三門という故郷のほかに行くべきところなど、わたしにも彼にもないはずだった。
『どこへでも。きみが望むところへ』
 唐沢は、そう答えた。一たす一は、と問われた人だって見せないような笑顔とともに。わたしはなんだかおかしくなって『わたしだって、君が連れていってくれるところならどこだっていいよ、どこへだっていってあげる』と返した。もとからこの年末年始は幼馴染みと過ごすつもりだったのだ。それがわたしの部屋から彼の車に変わったところで、たいした問題ではない。
「……そういえば、君と年越しするのは久しぶりだね」
「ああ。高校の時以来か。除夜の鐘を聞いて、初詣して」
「なつかしいな……唐沢のぶんまで飲んだ甘酒とか」
「きみが二年連続で大凶を引いたこととか」
「……それをいちばん高いところに結んでくれる優しい幼馴染みがいてくれてほんとうによかった」
「年明け早々頼られるのが嬉しかったから、俺はいつもきみが大凶を引いたらいいのにと思ってたよ」
「なんてひとなの」
 眠気の残る思考はふわふわと浮ついて、ほろほろと言葉と笑みがこぼれ落ちていった。唐沢はちっとも疲れた顔をせず「高校生らしい可愛げだろ」とうそぶいてみせる。いや、かわいいのだろうか? 横顔をじっと見つめる。少し日に焼けた肌は彫りの深い精悍な顔立ちをいっそう引き立て、かわいいというよりは格好いい。ああでも、整えられた眉が表情に合わせてコミカルに動くのは、かわいいのかもしれない。それから、いつも笑みを湛える薄い唇も。
「あ、」
 珈琲に濡れた唇がわずかにひらく。その瞬間を見ていたということに、心臓が跳ねた。彼が運転に集中していなければ、見過ぎだと怒られていたかもしれない。そっと視線を外すと、唐沢がなにに驚いたのか気付いた。
「雪だ」
 呟くと「まだ霙かな」とフロントガラスに落ちたかけらをワイパーが拭い去っていく。今のところ、白いかけらはちらほらと舞うだけだったが、天気予報が正しければどんどん降ってくるだろう。
「……雪が降ったこと、よろこんでもいい?」
 雪の少ない三門育ちには心躍る景色も、運転する幼馴染みにとってはあまり楽しいものではないだろう。ただでさえ助手席で寝こけていた罪悪感もありお伺いを立てると「いいよ」と彼が笑う。
「むしろもっと降ってくれたほうがいい。一面、銀世界になるくらい」
「銀世界」
 それは、見たことがないなと思った。
「楽しみ?」
 そわりと期待がふくらんだのを見透かしたような声色に「君が隣にいたらなんだって楽しいよ」と告げると、幼馴染みは「それはときめく口説き文句だ」と、やはり何もかもわかっているように返した。


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