サンタクロースのいない夜

 クリスマス・イヴの夜はチャリティーコンサートに行くと決まっている。界境防衛機関ボーダーの幹部として、三門の復興支援を謳う催しのなかでも規模の大きいそれを無視するわけにはいかないからだ。この日ばかりは城戸も忍田も根付も鬼怒田も仕事を中断し、三門市にあるコンサートホールを訪れる。唐沢も、例外ではない。というよりも、唐沢こそが最も出席しなければならない舞台――社交の場だ。筆頭出資者が唯我家とだけあって、コンサートは煌びやかで華やかなもの。関わる企業や名家は枚挙にいとまがない。
「開演が待ち遠しいですね」
 人の波が途切れたタイミングで、唐沢は小さく告げる。表情はにこやかに、揚げ足のとりようのない言葉で、けれど隣に立つ根付には伝わるだろう。唐沢の辟易が。
「ええ、まったく」
 根付も笑みをたたえながら返した。営業と広報で領域は異なれど、人に与える印象を隙なく計算しなければならない二人は、それなりに以心伝心できる。ひっきりなしに挨拶に訪れる来場者の相手はそれだけ疲れる作業だった。ただ仕事の話をするだけなら何時間でもやっていられるが、こと社交――華々しく飾られ、浮かれた空気の満ちる場というのは、また違った疲労感に襲われる。
「……しかし、君ならパートナーの一人や二人用意できたのでは?」
 ひそめられた声に、唐沢は小さく肩をすくめた。『このあいだ話していたうちの娘のことなんだが』とか『どうもご紹介させてください、私の妹で』だとか。いくつものスポンサーから露骨に縁談をちらつかされ、綱渡りな駆け引きを終えたところである。四十が近い根付にもそれがあるのだから、三十二と頃合いの年齢をしている唐沢が直面しないはずがない。自らの有能さも知るところではあるので、自分に縁談を申し込むことそれ自体は、少しも不思議ではなかった。
「そうすべきだったかもしれませんね」
 虫除けスプレーを振り撒くぐらいの気安さで、誰かを雇ってもよかったし、女性の部下にそれとなく隣にいてもらうことだってできた。そうしたほうがよかった、ということくらい、事前にわかっていた。チャリティーコンサートに参加するのも三年目だ。
「ふむ……? 何か、」
「おっと、いらっしゃいましたよ。来馬さんです」
 遠くからほがらかな表情で歩み寄ってくる老紳士に会釈で応え、根付の問いを遮る。根付は何も言わずに、メディア対策室長として完璧な表情をつくった。

 ◇

 演奏がすばらしいのは、このチャリティーコンサートにおける最もよいことだ。公人としては、エントランスで社交しながら纏めた出資話のほうを、よいこととしなければならないが。ボーダーも協賛している側ではあるので、演奏が終わったあともしばらくホールに残り、出資者たちと軽く歓談する。それが終われば、城戸や忍田、鬼怒田は早々に本部へ戻るのが常だ。このあともやらなければならない仕事がある。残っているのは、取材にきているメディアの対応をする根付と、瑠花と陽太郎を連れた林藤と、挨拶が残っている唐沢だけだった。
「よっ、おつかれさん」
 エントランスで来場者への挨拶を終えたころ、林藤が顔を見せにきた。ひとりですか、と視線で問うと「あの子らはあっち、クリスマスツリーのほう」と顎でホールの隅を示す。唯我家が手配したという煌びやかなクリスマスツリーのまわりに人だかりができていることには気付いていた。
「今年から、ツリーの飾りを配ってるんだってさ。思い出に。あの子たちはこのコンサートに来るのはじめてだし、ちょうどいいプレゼントになった」
 どうやらあの人だかりのなかに、瑠花と陽太郎もいるらしい。
「なるほど。林藤さんは並ばれなくていいんですか?」
 界境防衛機関ボーダーにとってもっとも重要な賓客を放っておいていいのかと、言外に訊ねる。林藤は「あとで並ぶよ」と笑った。
「小南もいるし」
 そう言われてよく見れば、天使の羽のようにぴょんと跳ねた艶やかな髪が見える。近くには迅もいるようだった。ホールでは見かけなかったから、招待客用のシートではなく、一般のチケットで入ったのかもしれない。
「唐沢さんは?」
「唯我氏はクリスマスツリーのほうにいらっしゃるようなので、最後に挨拶だけしに行きますよ」
「いい飾りなくなっちゃうかもよ?」
「飾るモミの木もないでしょう」
「営業部のコート掛けとか、どう? あのてっぺんの星とかさ」
 軽口をたたく林藤に合わせて「そうですねえ」と思案するふりをする。深緑のモミの木の頂点で、黄金色の星が誇らしげに輝いていた。
 ――あれはきっと一等星なんだろうなと、思う。夜空のどこにいてもわかる、そういう星なのだと。けれど、唐沢が、きれいだと思う星は。手に入れたかったものは、あれではない。もうこの世のどこにも、いない。ただ己のなかでだけ、この頭蓋骨の内側でだけ、瞬くひかり。
「……いえ。星は、間に合っているので」
 気がつけばそう口にしていた。林藤は「あ、そうなの? じゃあうちがもらっちゃおっかな〜」と笑って、クリスマスツリーのほうへ歩いていく。
 その背中を見送り、もう自分のもとにやってくる人間がいないことを確かめてから、そっと息をついた。笑っていた、かもしれない。
 クリスマス・イヴの夜だけど、特別なことは何もない。チャリティーコンサートは非日常だけれど、仕事の一貫でしかない。ツリーの飾りをきらきらしい笑顔で受け取る子どもたちのようには、なれない。それでも。唐沢には、奇跡も魔法も起こり得ないけれど――六等星のかがやきは、確かにあったから。それだけあれば、いいから。
「……きみがいたら、パートナーを頼んだかな。……いや、来なさそうだな」
 ぽつりとこぼした声は、クリスマス・イヴの喧騒にかき消されていく。それで良しとしながら、唐沢は筆頭出資者に挨拶するため歩き出した。


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