シャツをよごす

 まっしろいシャツがどうにも苦手だった。どこまでも清らかで、すきとおって、ひとつのよごれも許されないような、きんと張りつめた白。袖を通せば拒絶するように冷ややかな感触があり、しゃらりとかすかな衣擦れの音が響く。衿羽はやわく首を締め上げ、カフスはゆるやかな手錠に似ている。鏡に映るおんなの顔は白い反射光に照らされ、さながら白日の下に晒されたよう。たぶん、わたしにまっしろいシャツは似合っていないのだろう。シャツだけではなく、セーターも、ジャケットも、ワンピースもそうだ。まっしろいものをまとうたび、わたしはなにか自分が削がれていくような、そんなきもちになる。
 だから。その白い隊服見たとき。弓場拓磨という、わたしを殺していく白を気安く纏い、ぜんぶ自分のものにしている彼を見つけたとき。
 わたしは、ひどく、眩しくて目が離せなくて、憧れて――それから、すこし妬ましかったのだった。

 マスカラとアイシャドウのまじる塩水がまっしろいシャツをよごしていく。とけて、滲んで、ゆがむ瞳でそれをとらえ「ごめん」と声が震える。「気にすんな」と低い声が上から降った。嗚咽を殺そうと唇を噛めば、大きくてあたたかな手のひらがわたしの頭をおさえ、唇を白いシャツでふさぐ。ああきっといま、口紅も移ってしまった。熱い塩水は抑えようとしてもとまらなくて、彼の肌までも湿らせている。
「……いやにっ、なる……」
 くぐもった声を吐き出せば、弓場くんは「そうか」と短く相槌を打った。その声はとくべつ優しくも、厳しくもなく、だからこそ誠実だ。たまたま遭遇してしまった顔見知りの涙に何も訊かず胸を貸した彼は、いつか見たときとおなじように眩しくて、揺るぎない。薄いシャツの向こうから響く鼓動は、メトロノームのように正確に音を刻む。まっしろいシャツはこんなにも簡単によごれていくのに、わたしでは彼の心音を早めることもできないのだと知って、なぜだかあたらしい塩水がこぼれた。


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