対岸の火事

 太刀川慶という男は、彼女に肩を貸し、その大きな手で軽く頭を撫でながら静かに笑っていた。失恋した友人を慰めるにはあまりに晴れやかな笑みとかち合う。彼も私も互いに驚いた。彼は見られていたことに。私は、彼らを見ていたことがばれたという気まずさに。さっさと目をそらせばよかったのに私は驚いてしまって、だからそれを見る羽目になった。太刀川慶がゆっくりと笑みを切り替える。それは戦いのときに浮かべるような不敵な笑み。音にされないまま言葉が紡がれる、〝だまってろ〟。肌を突き刺したのはもしかしたら殺気と呼ばれるものなのかもしれない。けれど背筋に悪寒が走ったのはそのせいではなくて。顔を上げた彼女に太刀川が見せた顔、紡いだ言葉。「俺にするか?」彼女の失恋を生み出したのは彼なのだと、気づいた瞬間だった。


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