となりの席の顎髭さん

「ここ、いいですか?」
 ここ、とはわたしが荷物を置いていた席のことらしい。周りを見れば教室は満杯だった。今日は小テストがあるからいつもは来ない人も来たのだろう。声をかけてきたのは長身の、顎髭がちょっとこわい男のひと、その背後にはやっぱり長身のモデルのようなひと。
「いいですよ」
 荷物を退ければ、隣に顎髭さんが座って。さらにその隣にモデルさんが座る。仲がいいのかな、と思ったけれど、モデルさんはいやそうに顔をしかめていた。
 前から送られてくるレジュメに先に手を伸ばしたのはモデルさんだ。紙の束は顎髭さんに渡って、彼はわたしの分を取り分けてくれた。見た目の割に優しいひとだ。
「あ」
「何だ、太刀川」
「自分の分とり忘れた」
「バカだな」
 見ればたしかに彼の前にはレジュメがない。思わず手元に届いたレジュメをみる。重なってはいないかな、と確認してみる。残念ながら一枚きりだ。
「まぁいいか。どうせ今はいらないし」
「テスト前になっても見せんぞ」
「まぁまぁ二宮」
 顎髭さんの懐柔にもモデルさんは知らんぷりらしい。やっぱりあんまり仲が良くないのだろうか。だったらどうして隣に座ったのだろう。教室はいっぱいいっぱいだから、他に座る席もないけれど。
「……あの、このレジュメ、コピーします?」
 わたしの分をとってくれたせいでしょう。一言添えれば、顎髭さんはきょとんとした顔でこちらを見る。それから困ったように笑って「頼む、飲み物くらいなら奢る」と。その笑みがなんだかやわらかくてかわいくて、胸がどきりと跳ねる。顎髭さんの向こうでモデルさんがふん、と鼻で笑った。
 「確信犯め」その言葉は幸か不幸か届かない。


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