エプロンとペペロンチーノ

 ううん、と、キッチンに立つ当真くんを見て唸る。「なんだよ」と、いつものように笑った彼が身を包んでいるのは何の変哲も無い黒いエプロンだ。
 布地の控えめな艶感と、たくさんついてるポケットが良いなぁと思って、さらに黒だから汚れが目立たないぞ、とかそんな安直な理由で購入した2代目エプロン(初代はトマト缶を開けるのに失敗して見るも悲惨なことになった)を、夕飯を作ってくれるという当真くんに貸したのが十分前のこと。
 ほんとうに何の変哲も無く、特にデザイン性が高いわけでもお高い洋服のようにしっかり体のラインを補正してくれるわけでもない、そんな、黒いエプロンが――
「おそろしいほど似合う……」
 わたしが着ていたときとは完全に別物となった黒いエプロンに正直な感想が溢れた。
「いやいや。黒のエプロンが似合わないヤツとか、いる?」
 と、言いながら持っていたパスタを沸き立つ鍋の中に入れる。束に捻りをきかせたそれは、鍋肌に沿ってきれいな円形となり、当真くんが菜箸で揺らすと鍋に沈んでいく。
「……パスタ茹でるの、うまくない?」
「いや、フツーっしょ」
 彼が料理をしているところを見るのは初めてだった。にんにくの皮を剥いて、叩いて、刻んで。包丁にのせたにんにくを指でそっとフライパンに落とす仕草さえ美しい。長い指が、つう、と銀をなでる。
「バイトとかしてた?」
「あー、高一んときちょっとだけ」
 一人暮らしの部屋の狭いキッチンなので、ダイニングテーブルから椅子を引っ張ってきて、邪魔にならないところに置いて座る。当真くんはフライパンにオリーブオイルを注いで、ベーコンを切り始めたところだった。
「どこで?」
「居酒屋」
「いやだめでしょ」
「へーき、客には大学生って思われてたから」
「わかる……あっ、いや、だめでしょ」
「なまえさんまっじめー」
 ちらり、とこちらに向けた顔がにやりと笑っている。真面目、というのが褒め言葉でないことはわかっていた。だって、彼は、まだ高校生で。わたしは成人した社会人だ。だめでしょというなら、わたしも〝だめ〟で。
「……手は出して、ないですし?」
「時間の問題とみた」
「いやいや……」
「実際、手は出しかけたじゃん?」
「わー! わーー!!!」
 三ヶ月前に出会って四週間前から付き合っている当真くんは、正真正銘、十七歳の高校三年生だ。でもだって、最初は同い年くらいに思ってたし、だって、ほんと、高校生に、見えなかったから、いや、仕方ないとおもうんですよね。わかったの、付き合おうってなったあとだし。でもほら、手は出しかけただけ、だし。
「み、未遂ですよ?」
「ほんっと直前で気付きやがった、ってちょっと思った」
「気付いてよかった……」
「まぁ俺ももうちょいで十八だし」
「いやぁ……? 十八でも、ちょっと……?」
「まあまあ」
 当真くんは口笛で何かのメロディを奏でながら料理へと視線を戻し、無理やりにこの話題を打ち切った。打ち切り方のノリが男子高校生だ、と、わたしの心にまた罪悪感という名のダメージが蓄積する。いやほんと……だめ、なんだろうなぁ。そう思いつつ、別れる選択肢がない。少なくともわたしからは。だってほんとう、何度見ても、「顔とスタイルと声がいい……」
「なまえさん、本音、ホンネ漏れてる」
「……幻聴……では……?」
「いやもう、誤魔化し方がヘタクソすぎてビビる」
 くっ、と笑われて頬が熱くなる。何が悪いって、黒いエプロンがわるい。下に着ている白いシャツ(学ランのカッターシャツだけど)を腕まくりしているところとか、エプロンの紐をちゃんとリボン結びにしているところとか、あとやっぱり指が長くてきれいなところとか、そのへんがぜんぶわるい。
「ところで中身は?」
「……ノーコメント」
「うわ、傷つく~」
 言いつつ笑っている彼は、おそらくわたしが中身も含めて好きなことを知っている。惚れたほうが負けとは言うけれど、年下の男の子に捨てられる未来はわりと簡単に想像できて、どうにも、負けを認められない。きっとそれさえも、彼は見透かしているのだろう。

 しばらくもたたないうちに、二人掛けのダイニングテーブルにペペロンチーノがふたつ並べられる。さっそく「いただきます」と手を合わせると「ドーゾ」としたり顔が応える。フォークでくるくるとパスタを巻いて、分厚く切られたベーコンも刺して、ぱくりとひとくち。ピリッとした鷹の爪の辛味に、にんにくとベーコンの旨味が広がる。
「おいしい。当真くん、これ、かなり、おいしい……!」
 くるくる、とパスタを巻く手がとまらない。正直いうとわたしがつくるよりもおいしい。
「うわぁ、天才……天才なのでは当真くん……え、すごい、すごくおいしい……」
 食べる合間に褒め称えながら、彼にペペロンチーノは作るまい、と硬く誓った。彼に手を出さないという誓いと等しいくらいの重みで。
「そ?」
 と、そんな一言が耳に届いて顔をあげる。ほんとうに余裕たっぷりで年下なのか疑わしいなぁ――なんて、思っていたら。
「そんな喜んでくれんなら、いつでも作るよ」
 いつもニヒルな笑みが、すこしだけへにゃりと崩れ、耳が赤い。
「そういうとこずるい……」
「胃袋つかみにいくのそんなずるい? てかなまえさんチョロすぎない?」
 いや、そういうことじゃないんだけど、あとまた本音が漏れてしまったのだけれど、ともかく。はやく、成人してほしい。そしたらきっと、年甲斐もなく、それこそ彼と同い年の女の子みたいに、だいすきって、そう言えるから。はやく――大人になって。
 なんて言葉は、ペペロンチーノといっしょにのみこんだ。


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