音によばれる

 地下鉄の階段をいちだんいちだんのぼっていくと、わずかながらに残っていた気力が一歩ごとに抜けおちていく気がする。かつ、かつん、かっ、ヒールが鳴って、窮屈なパンプスに押しこまれた爪先の悲鳴に聴こえた。肩にかけた鞄が重く、ふらついて踏み外すのがこわくて下を見つめる。そうしているとまるで階段のおわりはないような気がして、くらりと意識がゆれた。
「あのさ」
 ふっ、と肩が軽くなる。「聴き苦しい音、たてないでくれる?」顔を不機嫌にしかめた彼は鞄をそのままうばってしまう。「あ、」間抜けな音がもれた。うるさくてごめんね。どうしてここに。もしかして迎えに? なんてことを尋ねる暇も彼はくれない。「早く」と、手を差し出されて。短い言葉に命じられるままその手にじぶんの手を重ねる。すくいとるような手が、そっと地上へと導いてくれる。こつ、こつ、規則正しい音が響いて、斜め前の彼はすこしだけわらった。


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