身軽さこそ信条

 大切なのは身軽さだ。そう思って生きてきた迅悠一は、だから、彼女から贈られたものを身につけないことにしていた。
 消えものは遠慮なく食べたり使ったりしたけれど、花は見えるところには飾らなかったし、服や小物は絶対に身につけなかった。彼女がじぶんになにかを贈ってくれる、その気持ちはうれしかったけれど、とびきりうれしかったからこそ、それを受けいれるのは相応の覚悟が要った。そして迅は彼女を選べなかった。
 彼女のこころがこもった贈り物は、迅には重過ぎた。未来を視て、未来に捉われた迅には不要の重さだった。
 例えば彼女が贈った花を見て心が癒されたら、その花を見るたびに彼女を思い出すのだろう。でも、それが、何か大事な未来を決める瞬間だったら。意識に引っかかったその花は、迅に〝まちがった〟未来を選ばせるかもしれない。
 だから身軽でなければならないのだ。いつだって、なににもとらわれず、ただ未来だけをみていなければならない。それが、人の手には余るはずの運命に干渉するにあたっての約束事だった。〝ただしく〟つかうことが、じぶんに求められていると、わかっている。

 ――わかってる、けど。
 玉狛支部の、迅に割り当てられた部屋は殺風景だ。薄いマットレスの敷かれたベッドと、床を埋めるのはほとんどがダンボール。そこには迅がこよなく愛するぼんち揚げがぎっしりと詰まっている。ただひとつを除いて。
 積み上げられたダンボールの、いちばん奥。そうそうに見つからない場所にしまい込んだダンボールを引っ張り出して、封をしていない蓋を開ける。溜息がもれる。中に納められたのは、彼女からの贈り物――そのすべて。
 たまには読みなよ、と渡されたおすすめの文庫本と、ブックカバーと細工栞。一度も袖を通していないシャツに、皮のキーホルダー、コインケース。マフラー、靴下、ハンカチ、書きやすいと評判のボールペン。添えられていた一言のメッセージカードに、果てはリボンや包装紙、紙袋まで。彼女から贈られたもののすべてが、そのダンボールに詰まっている。
 傍に置いた小さなクッキー缶を持ち上げて、そのなかに納めた。中身はもう食べてある。お土産だというそれは、クッキーの缶のくせにずいぶんとおしゃれで、彼女はたぶん、クッキーを食べたあとにも形が残るものを、と選んだのだろうとわかる。
「べつにいいって、言ってるんだけどなぁ」
 身軽さこそが信条だ。だから彼女から贈られたものはなるべく視界に入れないし、消えものはさっさと使う。けれどこうして形に残るものは、捨てられない。捨てられなかった。なにひとつとして。
 彼女だって。迅が、贈られたものをなにひとつ身につけていないことを、わかっているだろうに。なのに贈ってくる。形あるものを。捨ててもいいよと、そんな言葉とともに。捨てられたらこっちだって楽なのだ。
 蓋を閉じて、ダンボールを元の場所にしまった。ものが増えるにつれて大きなダンボールに移し替えてきたが、あれ以上大きなものはそうそうないだろう。部屋のなかにあっても目立つ。
 あれがいっぱいになったら、いよいよだ、と思っていた。いよいよ、どうしようもなくなるぞ、と。
 それが、もう捨てなければという声なのか、もう受けいれるしかないだろうという声なのか、迅にはよくわからない。前者だろうとは思うけれど、それを選べるならとっくのむかしに選んでいる。
 ――まだ、だいじょうぶだ。
 根拠のない声がどこからか響いた。
 まだおれは、身軽で。ちゃんと、〝ただしく〟未来を選べる。
 薄っぺらいマットレスのうえに寝転んで、そっとまぶたを閉じる。訪れた暗闇に、ふわりと身体が浮いた感覚がして――まだだいじょうぶ、とそっと息を吐いた。


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