アンドロイドじゃなかったんだ

「アンドロイドじゃなかったんだ……」
「え? なにそれ」
「あっいや、その……」
 暑さにぼうっと痺れていた頭が、ぴしゃりと冷めた。一拍遅れて頬に集った熱が呼吸を覆って言葉を埋める。その名前のとおりよく晴れた日の空と同じ色の瞳に見つめられ、なまえは失言を悟った。溺れたあひるのようにはくはくとくちびるを開いては閉じ、肺に酸素を送りこむ。
「みょうじちゃん、おれのことロボットだと思ってたの?」
「そ、そんなロボットとは、まさか、あの……」
 にこり、と完璧な笑みをのせた眼差しにじりじりとうなじのあたりが焦げる。なまえは犬飼のこの笑みがときどきこわかった。色素が薄く涼しげな風貌に、からりと乾いて柔らかな、友好的な物腰。くじびきで決まった環境美化委員の仕事もあんがい真面目にこなす、好青年。水をやったばかりの花壇に咲くひまわりがよく似合う。
 けれど、なまえは犬飼がこわい。どこまでも透明なのに、ちっとも底にたどり着けない沼みたいに思える。それこそつくりもののような。
「あのだから……その、犬飼くんって、汗かくんだ、みたいな……」
「ああ、」
 と、犬飼は頷きながらも意外そうに目を瞬かせる。そんなこと、と薄いくちびるが音にはせずに囁いた。なまえは返事をする代わりに花壇に視線を落とし、サルビアの葉に隠れた雑草を一本引き抜く。影はすこしつめたく、水滴が手首を濡らした。
 本当に失言だった。けれど、思わず口をついて出てしまったのだ。不気味の谷という言葉さえ思い浮かぶような、そういうものだと思っていた犬飼のこめかみに浮かんだひとつぶの汗。陽射しにきらりと光ったそれを見て、なまえは彼が自分とおなじ人間であることに気づいたから。
「おれだって汗くらいかくよ、暑いし」
「それはまあ、そうだとおもうんだけど」
 顔をあげれば、犬飼はやっぱり楽しげな顔をしていた。頬が火照っているのは梅雨も明けきらないうちから三十度を超す気温のせいで、だからその瞳はいつもどおりにつめたく透明だった。逆光で暗くなったかおのなかで、そこだけが湖面のようにかがやいている。じっと目を合わせていると心臓がぐらぐらと浮いて落ち着かない心地になるが、今はいくぶんか生じている人間らしさのおかげか、それほどでもない。
「それにしても、ロボットかぁ」
「いやロボットとは、」
「ああ、アンドロイド、だっけ。おんなじようなものでしょ」
「それはちが、いや、うう、ほら、あの。ボーダーって、戦うとき人工の体になるんでしょ? だから、かも」
「トリオン体のこと? あれでも汗はかくよ、生身の体を再現してるから」
「そうなんだ」
「ん~……でもどうかな。暑いとか寒いとかはあんまり感じないから、そういう意味ではじゅうぶんロボットかもね」
「そう、なんだ」
 やっぱりアンドロイドかもしれない。
 なまえはそろりと視線を外し、再びサルビアの茂みに指先をいれて雑草を探した。犬飼もとなりにしゃがんで、けれど花壇にはふれずになまえの顔を覗きこむ。視線が一瞬、まじわる。
「今、」
 うつくしく整った笑みだった。
「きもちわるい、って顔してたね」
「……まさか、そんな」
「そう? おれはきもちわるいけどなあ、暑さも寒さも、痛みも感じない体」
 なんてことのないように紡がれた言葉が鼓膜を震わせていく。なまえは顔をあげなかった。彼がどんな顔してそれを言ったのか、興味がないといえば嘘になるけれど、確かめるのはこわかった。
 犬飼がぷちりとサルビアの花を摘む。
「この蜜すうのすきなんだよね」
 と、急に小学生みたいなことを言い出したから、なまえはそのまま「小学生みたいだね」と返した。捻りも何もない言葉がすこし恥ずかしい。犬飼はちいさく息をこぼすように笑って「みょうじちゃんも同罪」となまえの視界に花を差し出す。受け取って蜜を吸うと、渇いた口にじわりと甘みがしみる。
「そういえばさ、アンドロイドとロボットってなにが違うの?」
「え……顔のよさ、だよ?」
 一拍、沈黙があった。そしてすぐに、ははは、と底抜けに明るく、けれど乾いた笑いが満ちる。犬飼は「みょうじちゃんもなかなかきもちわるいね」と言った。ちらり、と窺ったその頬が見たことないくらい赤かったから、なまえはやっぱり彼はアンドロイドじゃなかったんだんだな、と思った。


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