飴玉ひとつ

 ころり、と飴玉を転がしながらなまえは冬島の背中を見ていた。エンジニアとしての冬島に与えられた一室は相変わらずまとまりがない。よくわからない機材が棚にぎゅうぎゅうに押し込められて、がらくたにしか見えないトリオンでできたなにかが床を埋めつくさんばかりだ。本や書類が積み上がったデスク、上着とベルトが通ったままのズボンがかけられたチェア。部屋の持ち主をそのまま表した、端的に言って散らかった部屋だった。
 床に直接座りこんでノートパソコンになにかを打ち込んでいた冬島は、部屋に入ってきたなまえに用件も聞かず、『ちょっと待ってろ』と飴玉をひとつ渡して、それからはずっと、パソコンと向き合っている。
 渡された飴玉は大粒のみぞれ玉だ。昔からあるような素朴な飴で、頬張ると大きくて持て余す。ざらりとした表面のせいで、やわらかい舌がすこし擦れて痛い。それでも右から左に、左から右に、口内で行ったり来たりとさせれば凹凸がとろけて滑らかになっていく。
 子ども扱い、しすぎじゃないだろうか。こちらを見向きもしない背中に床のがらくたを投げつけたくなる衝動を抑えて、冬島を見つめる。飴玉ひとつで言うことをきくとでも思われているような、そんな気がしてならない。
 恋人なのに。拗ねた気持ちが顔を出す。なまえはこんなに冬島のことが好きなのに。冬島はいつも子ども扱いばかり。ちゃんと恋人して扱うべきじゃないの。心のなかで文句を並べつつも、なまえは飴玉を転がしながら冬島の言ったとおりに待っているわけだけれど。だって冬島の邪魔をして嫌われたくもない。
 しかしもう三十分は待っていた。ころりころりと、飴玉もずいぶんと小さく転がしやすくなって、なまえはそっと吐息をもらした。
 「あ゛ぁ~」と、声をあげながら伸びをする。黒いTシャツ越しに肩甲骨が動く。パキリポキリと固まった関節が音を立てた。疲れた、と肩を落として力を抜く。
「なまえ、待たせて悪かったな~」
 と、冬島は振り向いて。床を埋めつくさんばかりのがらくたのなかで、からだを小さく折りたたんで横たわるなまえに気付いた。すぅすぅとかすかな寝息が聞こえて腕時計をみれば、おそらくだが一時間は経っている。
 無防備な頬にキスでもしたかったが、そうするべきではないことは知っている。だって、これは、起こしたら、そうとう、怒られる。warning、頭のなかでちかちか文字が光った。『ちょっと』と言って一時間も待たされたなまえの怒りは幾ばくか。急ぎの用件ではなかったと思うのだが、そういう問題でもないだろう。
「あー……、なまえ、さん?」
 下手に出ながらそっと肩を揺すった。その拍子にぎゅっと握られていたなまえの手がゆるんで、ぽろりと床に落ちたのは飴玉の小袋。しわくちゃになっていた。ずっと待ってたんだよなぁ。そう思うと笑みがこぼれる。ちょっと、ときめいた。
 大きな瞳がゆっくりとひらいていく。その瞳が『遅い』と怒りに染まる瞬間を恐々と待ちながら、疲れが溶けていくのを感じていた。例え向けられるのが怒りだろうと、そこは惚れた弱み、恋人とのことだから。へらっと浮かんでしまう笑みをとめることはできなかった。


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